皇大神社
こうだいじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】志波姫神社(名神大) 陸奥国 栗原郡鎮座

   【現社名】皇大神社
   【住所】宮城県栗原市高清水字佐野丁25
       北緯38度39分32秒,東経141度0分55秒
   【祭神】大日靈尊
   【例祭】9月15-16日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】養老年間(717〜723年)の勧請
       宝暦年間(1751〜1763年)社殿造営
       明治7年1月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

もとは現在の鎮座地より西方3km位の高清水西村境に祀られたが、亘理氏が現在地に奉遷した。
当社を志波姫神社に比定する説がある。


皇大神社

口碑によると、第44代元正天皇の御代養老年間(奈良時代717〜723年)の勧請にして、東奥地方田疇開拓の勅願所であった。現鎮座地より西方3km位の高清水西村境に祀られたが、亘理氏が現在地に奉遷したという。昔、別当は玉泉寺であったが、江戸時代初期延宝8年(1680年)より宍戸相模守が神主となり宝暦年間(1751〜1763年)に社殿が造営されたとつたえられている。奥州七神明社の内の一社とつたえられる。因みに七神明社とは、一の宮秋保長袋、二の宮高清水、三の宮仙台榴ヶ岡、四の宮刈田の白石、五の宮角田、六の宮岩谷堂、七の宮川口で神主は、一社一人と定められていた。(元禄11年=1697年、神社奉行命)境内入り口の大杉の根が大きく橋のように生えているので、根子橋神明とも言われている。嘗て拝殿傍らに、樹齢一千年余の大欅があり、十数里先からも当社の所在が解ったほどだった。しかし、樹幹の洞穴等の危険木とみなし、昭和12年10月東京の銘木商細川馬八へ売却された。現在、大欅の碑が跡地に建立されてあり、大欅の写真も現存する。明治7年1月村社に列す。

宮城県神社庁



皇大神社

俗に御神明さまといわれ天照大神を祀り奥州神明七社の一社とされ
養老年中(七一七年)の勧請で元正天皇の御代東奥田開拓の勅願所といわれ境内には樹齢千年近い大欅があった。
高清水拾遺志には、昔西村にものを亘理氏(領主)がこの地に移したとある。

社頭石碑




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