創祀年代不詳。古來清水権現とか清水明神と称され、祈雨に霊験ある神として里人の信仰が厚かった。 往古の鎭座地は現在地の更に西北方500m程の丘陵上(字袖山)であつた。 旧社地は現在では完全に薮の中になつてしまひ状況の確認が出來かねるが、『宮城縣史蹟名勝天然記念物調査報告』策十二輯によれば、「社趾といふ土地は二畝歩といふも夫れさへ狭められて居り神前の池も埋れかゝり叢に鎖されて荒廃し礎石らしきものもなく社殿の旧態等も如何なるものであつたかを知る由もない有様」であるといふ。(式内社調査報告) |
五輪の塔 「奥州善光寺如来略縁起」に「萬開法師・五輪の塔残る」と記されてある。 このことからこの「五輪の塔」は善光寺如来開基萬開上人の墓と伝えられている。(五輪の塔は後世にも造られ数基祀られてあったということだが現在完全な姿で残っている塔はない) 社頭石碑 |
志波姫神社 式内社と伝える。寛保年中大旱の際、領主亘理氏別当三明院知観に命じ雨を祈りしに、慈雨3日に及び農耕をたすけたので、領主神恩に感謝して社領を献納した。明治に至って現在の地に移祀する。社地高燥眺望まことに勝れている。 宮城県神社庁 |