表刀神社
うえとじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】表刀神社 陸奥国 栗原郡鎮座

   【現社名】表刀神社
   【住所】宮城県宮城県大崎市古川小野宮前14
       北緯38度37分34秒、東経140度59分56秒
   【祭神】伊弉冉命 素盞嗚命 (合祀)武甕槌命
   【例祭】9月24日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平神護元年(765)勧請
       天正年間(1573-92)大崎左京大夫義隆社殿造営
       この際本社に辮財天を併せ祀り、以後辮天様と称される
       明治のはじめ改称
       同5年3月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「弁財天」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造鋼板葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】

線路近く。小高い岡の上に鎮座する。前面には水田が広がつている。この水田地帯は古くは「千枝湖」(又は「大崎沼」)と呼ばれた広い湖沼であつた。


表刀神社

表刀神社(うえとのじんじゃ)の創建は古く記録では奈良時代の天平神護年間(765〜66)ころと伝えられ延喜式内社奥州一百座の一と言われ十二の末社があったという。祭神は伊耶那美命(いざなみのみこと)の外に須佐之男命(すさのをのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)である。又戦国時代末期、時の奥州探題、大崎義隆公が社殿修復の時、同時に弁財天を祀ったといい、今は通称弁天様ともいう。
 周辺は昔、千枝湖(ちえのみずうみ)という入りくんだ湖沼で、古歌みちのくの華嶋山に陰(かげ)落ちて木末(こずえ)に魚の、のぼるとぞ見ゆ。(読み人知らず)にあるとおりであった。付近一帯を弁天崎という。
 昭和23年(1948)9月アイオン台風で蝦沢堤(国道四号線)が決壊した時は沼田一面冠水し往昔の千枝湖再現の観があったが萱刈潜穴の改修により一面美田と化した。
 明治44年八雲神社、羽黒神社を合祀した。祭日は9月25日、社殿南方入口の笠松、東南の大杉は古川市指定の天然記念物だったが、笠松(赤松)は虫害で枯れた。大杉は今も樹勢旺盛で市内最大の巨木である。
 神徳神威は五穀豊饒、商売繁昌、健康安全、夫婦円満、子孫繁栄、交通安全、学芸上達、国家安泰、武運長久、大願成就に霊験ありという。
姉歯景孝 撰文

社頭掲示板



表刀神社

古川市小野地区の氏神様で、延喜式栗原郡7座の1座である。天平神護元年(765・奈良)の創建と伝えられ、後に天正年中奥羽探題大崎義隆(義兼14世の孫)が社殿再建の際、弁財天を併せ祀るといわれる。明治のはじめ、弁財天と改め現社号とし、明治5年3月村社に列せられた。

宮城県神社庁



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