益多嶺神社
ますたみねじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】益多嶺神社 陸奥国 生方郡鎮座

   【現社名】益多嶺神社
   【住所】福島県南相馬市小高区大井宮前
       北緯37度34分24秒、東経141度0分10秒
   【祭神】大国主命 少彦名命
       『奥相志』大己貴命

   【例祭】大祭日 4月29日
   【社格】
   【由緒】景行天皇の御代出雲大社を勧請
       応永2年(1395)現在地に遷
       文政2年(1819)益多嶺神社に擬定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは中郷北原(現原町市)に鎭座
        応永2年(1395)現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「甲子祖大宮祠」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造
       幣殿・拝殿

   【境内社】太田農神社・茂神社・雷神社・春日神社・住吉神社
       厳島神社・雨風宮・山津見神社


元「甲子祖大宮祠」と称したが、文政2年(1819)「益田嶺神社」と称するようになつた。
元は中郷北原(現原町市)に鎮座していたが応永2年(1395)大井に遷という
祭神は出雲大社より分霊という。
文化12年(1815)、相馬益胤の命により行われた渡邊美綱の行方八社の調査では、益多嶺神社は冠嶺神社とともに不明とされたが、文政2年(1819)の再調査の折、大宮明神の祠官田代氏の主張をいれて、これを益多嶺神社に擬した。
また、当社は中郷北原(現原町市)に鎭座せるを応永2年(1395)大井に遷し、三郡(宇多・行方・双葉)の総社として代々相馬氏の崇信をうけたともいう。


由緒

第12代景行天皇の御代、日本武尊東夷平定の際、出雲太社より御分霊を勧請された神社で、昔から甲子大国社と尊称される。古来より霊験あらたかなれば、閑雅な境内に於いて心身ともに御神徳に浴される崇敬者は、遠近を問わず諸国に数多い。
にんにくの神事
昔、疫病の流行せし時、ニ神はこれをすくわんと諸種の草木よりにんにくを薬物と定め、救済せし故事に起因。大祭の日に「にんにく」をお受けすれば無病息災の御神慮あり。
大祭日 4月29日
甲子祭 毎年甲子の日
節分祭 2月3日 男女厄年の厄払、豆まき、追儺祭

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




益多嶺神社
延喜式内益多嶺神社甲子大国社
御祭神 大国主大神 少彦名大神
第12代景行天皇の御代日本武尊東夷平定の際(110年)勧請する神社である。御祭神は出雲大社より御分霊の霊魂安定殖産興業の福の神大国主大神、医薬学問の祖神少彦名大神
大祭 4月29日みどりの日
書願成就の大祈祷執行
甲子祭
毎年6月甲子の日国家の泰平講社氏子信徒の家運長久商売繁盛学業成就交通安全を祈る。
延喜神名帳収録(905年)以前より今日まで諸国甲子講を組織し心願成就の御神徳を仰ぐは皆当社の古式によるものにして甲子の御祖神甲子大国様と尊称する所以である

社頭掲示板



陸奥国INDEXへ        TOPページへ


認定こども園