虚空蔵尊
こくうぞうそん
小鋭神社旧社地
所在地 社名















   【延喜式神名帳】小鋭神社 陸奥国 桃生郡鎮座

   【現社名】虚空蔵尊
   【住所】宮城県登米市津山町柳津字大柳津63
       北緯38度35分22秒、東経141度18分47秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】創建当時は大土山山頂にあった

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【公式HP】 柳津虚空蔵尊
   【社殿】
       

   【境内社】

山口県柳井、福島県会津柳津の虚空蔵尊と並び日本三虚空蔵尊の一つに数えられています。創建は神亀3年(726)、万葉集で知られる僧行基によるものといわれ、現在は大土山の西麓にありますが創建当時は大土山山頂にあったと伝えられています。
この地は小鋭神社の旧社地とも言われている。


虚空蔵尊

南三陸 金華山国定公園
  日本三所の一
  宮城 柳津福智満虚空蔵尊
 当山は柳津山宝性院と号し、真言宗智山派に属す。
神亀3年(第45代聖武天皇)726年秋9月行基菩薩勅を受け東国を巡遊し、この地に来り御修法21日間一刀三礼し、自ら虚空蔵を刻む、その丈一尺二寸もって、天下泰平、国家安穏を祈り、同月13日一字を黄土山の嶺に創立しこれを信心して、一村の守護仏として尊崇した。
 後宝亀2年3月大伴家持宮城郡多賀城にありし時登山して、これを拝して言うに福島の会津柳津山口の柳津に安置せる仏像も同じく行基の作で日本三所の秘仏である。かくも尊いものなれば33年目毎に開帳する外みだりに衆人これを拝すること恐れありと、其の後弘仁9年(52代嵯峨天皇)5月3日弘法大師此の堂に籠り21日間の密行を勤め、大黒天長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一尺二寸のものの二体を刻し、もって其の左右に安置し尚本堂を今の地に移した。
 其の後中古に至ってしばしば野火にあいましたが幸にして本尊の安泰を得、法澄連綿として現在に至っております。
 虚空蔵菩薩は丑、寅生れの一生一代の守り本尊であり鰻は虚空蔵菩薩のお使いの魚で絶体に殺生しないことになっております。
恒規大行事=四季に修行される例祭(新暦)
1月 1日 =初訪特別祈願祭   4月12、13日 =春季大祭
1月13日 =初虚空蔵     10月12、13日 =秋季大祭
2月13日 =受験合格祈願祭  12月13日 =納めの虚空蔵
3月13日 =十三詣り 毎月13日 =月詣り
4月1日 =交通安全災難消除祈願祭
柳津虚空蔵尊七不思議
一、玉こぶの欅 = 弘法大師が杖にしたといわれるけやき、樹令1200年以上、縁結びの神様、イボ取り神様
二、雫の桜 = 一名涙の桜、しだれ桜、葛西公奥方お手植の桜、葛西公滅亡後晴天にいつもしずく(涙を)こびしている
三、一夜の松 = ご本堂屋根替の時一夜にして曲り一晩で虚空蔵尊が松をまげたと言われる
四、月見の井戸 = 弘法大師さま昼間御信徒に月、星をうつして見せた井戸
五、片葉のよし = 大伴家持卿の庵の跡にはえたと称され片方にしか葉がありません
六、黄土山の黄金水 = 行基菩薩黄土山頂で秘法を行い湧き出た水で無病息災の水
七、子育ての松 = 境内に一本の松がありいつの間にやら幹の間に杉を生じ、さながら子を育てる松の姿に子育ての松と言う
鵲 橋
鵲の渡せる橋におく霜の
 白きを見れば夜ぞ更けにけり
     中納言大伴家持
今を去る一千年の昔中納言大伴家持の作として百人一首に詠まれ、永く世人に親しまれて来たこの歌は虚空蔵に至るこの橋の上で詠まれたと言い伝えられ鵲橋はあまりにも有名である。

社頭掲示板



虚空蔵尊

神亀3年(726年・第45代聖武天皇) 秋9月 行基菩薩は、天皇から勅を受け東国を巡遊してこの地に来て、御修法 21日間 一刀三礼(1回 「のみ」できざみ、3回頭を下げる)を勤めて自ら虚空蔵菩薩を刻みます。丈、一尺二寸にて、天下泰平、国家安穏を祈り、同月13日一宇を黄土山の嶺に創立し、 安置して法を7日間説き、村民が大変これを信心して一村の守護仏として尊崇しました。
 その後、宝亀2年(771年)3月、大伴家持が宮城郡多賀城にいる時、黄土山に登山してご本尊様を拝して「福島の会津柳津、山口の柳津に安置している仏像も同じく行基の作で、日本三所の秘仏である、かくも尊いものなれば、33年目毎に開帳する外、みだりに衆人これを拝すること恐れあり」と言われました。
そして弘仁9年(818年・第52代嵯峨天皇)5月3日 弘法大師が比の堂に籠り、21日間密行を勤めて、大黒天 長さ八寸のものと、毘沙門天長さ一尺二寸のものと 2体を刻し、 本尊の左右に安置して本堂を今の地に移すこととなります。
 さらに後に、中古にいたってはしばしば野火にあいましたが、幸いにして本尊の安泰をえており、貞享2年(1685年 徳川綱吉の時代)3月13日智積院 大法王来山して、仏像を拝して、行基の作であることの鑑書を受けたと伝えられています。
 祭日は4月・10月の13日で、本年で開山1282年、家持郷より36回 御開帳が行われ、平成28年には37回目の御開帳が行われます。
尚、現在の住職は第51代 杉田観龍です。

公式HP



陸奥国INDEXへ        TOPページへ


学校DATA