大島神社
おおしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】計仙麻大島神社(名神大) 陸奥国 桃生郡鎮座
   【延喜式神名帳】小鋭神社 陸奥国 桃生郡鎮座


   【現社名】大島神社
   【住所】宮城県気仙沼市亀山1
       北緯38度52分21秒、東経141度37分20秒
   【祭神】倉稻魂神
   【例祭】9月15日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創祀年代、鎭座の由來等不詳
       貞観元年(859)正月27日従五位上(三代実録)
       明治3年大島神社と改称
       同8年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】神体として巨石を祀つているという
   【祭祀】江戸時代は「太田ノ神社」と称していた
   【社殿】本殿流造鋼板葺
       拝殿・社務所

   【境内社】

気仙沼湾内に浮ぶ大島の亀山(標高235m)の中腹に社地がある。
神体として巨石を祀つている。拝殿の中本殿前に巨石がある。
また、太田ノ神社とも呼ばれたことから、式内社・小鋭(おとの)神社の論社とする説もある。


由緒

祈願成就の御田の神様
金華山以北では最も古い歴史と格式を有する、延喜式内社桃生六座の名神大社。この神社は、今からおよそ一千年以上も前の文献にもその名が出てくる程古く、蝦夷の民心の安定帰服と開拓の安寧を祈念して創建したものと言われる。
大島神社は別名『御田の神様』と言われ、御祭神は『倉稲魂神』という。
なぜ、此の四方を海で囲まれた大島の神社が『御田の神様』なのか。
大島神社の伝承の一つに、神霊として奉る巨大な石の上にお田植の季節になると『たにし』が上り、毎夜青い光を放っていたと言う。 昔の人々がこう言う異変事を神事として祭ったことから、お田の神様と言う名がつけられた。
地理的には農耕の神としてよりも海上安全、大漁満足を祈願する海の人々の参拝が多いが、家内安全、交通安全、商売繁盛祈願の人々の参拝も絶えない。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




大島神社

三陸南自信大島神社被災復旧の記
穏しき波寄する我が緑なす島 平成15年5月26日俄に大地揺れ道割れ家居傾き甍崩るる 幸にして島民負傷せず 皆復旧の途に立つ 是山上より見晴るかす大神の神威の賜と添なむ 拠て我ら一丸となりて社殿石階の復旧を完遂し茲に深き神恩に奉賽せんとす 今共に祈る 災害に負けず永久に静けき我が母なる島を
平成15年12月31日
復旧工事竣功
大島神社 宮司 小松勝麿

社頭石碑



大島神社

この大島神社は(気仙麻大嶋神社・桃生郡六座の一)。地理的に考え又、観跡聞老志、封内風土記、吉田博士の説に従って間違いのない事である。創祀年代は明らかではないが、古くよりこの地に鎮座有りて、大島の産土神として奉られた。延喜の制、名神大社に列し「三代実録」に、清和天皇貞観元年(859年、平安時代)正月27日条に従五位下より、従五位上に昇叙の事と見ゆる。これは、天皇ご即位に際しての御進階にして、当国においては、気仙麻、志波彦、志波姫、拝幣志、零羊崎の諸神と同時に昇叙した。大島神社は別名「御田の神様」と言われ、御祭神は、「倉稲魂神」(うがのみたまのかみ)です。「倉稲魂神」は農耕、収穫、商売繁栄の神様として各地に「お稲荷さん」として奉られている。

宮城県神社庁



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