もと大森の辻堂部落内(旧桃生郡二俣村大森字上辻堂青ケ崎=現在の梨木)に鎭座していたが、河川氾濫の都度社地が濁流に汚されるため、明治44年一村一社合祀に際し、旧尾崎神社趾の現在地に移転した。 |
二俣神社 当二俣神社は延長5年(927)編輯の延喜式神明帳に登載されている由緒ある延喜式内社であり、桃生六座の一つである。古くは大森村上辻堂青ヶ崎(現在の梨の木)に鎮座している。当時の神社境内は広く大樹に覆われ鬱蒼としていたと伝承されている。祭神は八衢比古神、水戸神、八衢比買神、船戸神、の四神を祀り明治5年11月には旧大森村神社に列せられた。ついで同41年12月旧三輪田村村社尾崎神社宇迦御霊神、須佐之男神、旧東福田村村社誉田別神旧北境村村社宇迦乃御魂神旧大森村五十鈴神社、辻堂稲荷神社、その他無資格社を合祀した。そしてすでに明治22年4月に当時の四ヶ村が合併して誕生した新制二俣村の村社として遇せられた。その後明治44年3月に梨の木の旧社地から現在地の三輪田字尾崎前二番地の尾崎神社跡地に移転し現在に至っている。移転後に一度、昭和3年11月に新築されたがそれが現在までの社殿である。これまで村の鎮守としてあまたの村民、氏子の尊崇を集め春秋の例大祭、元旦等には多くの参拝客で賑わいを見せてきたものの、昭和3年以来の社殿も六十余年の風雪により老朽化が進み、平成元年頃より総代間で新築の機運が昴まり、平成4年8月の総代会議において正式に神社建設が決定された。平成7年4月29日着工 平成7年9月30日完成 氏子一戸当り6万円の浄財のもとに総工費2901万2千円にて完成を見たものである。よって当社の沿革を記し落慶の記念とする。 平成7年10月吉日 社頭掲示板 |