大島神社
おおしまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大島神社 陸奥国 牡鹿郡鎮座

   【現社名】大島神社
   【住所】宮城県石巻市住吉町1-3-1
       北緯38度26分2秒、東経141度18分41秒
   【祭神】底筒男神 中筒男神 表筒男神 (合祀)須佐之男神
   【例祭】4月15日 春季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】貞観5年10月29日従五位下
       明治7年4月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「住吉神社」と称していた
   【社殿】本殿切妻造 
       幣殿・拝殿

   【境内社】

旧北上川の河口付近に南北に長い島「中瀬」があり、その北端の先に、歌枕「袖の渡り」の地として知られる住吉公園がある。この公園内に鎮座する。
「住吉公園川の中に烏帽子石があり、巻石と呼ばれ、北上川がこの石に当たり後ろで渦を巻くことから巻き石と呼ばれ石巻の地名の由来となった」とあるが、震災で石を含めて地盤が1m程沈下し、干潮の時でないと見られなくなったという。


大島神社

巻石
巻石のことが最初にでてくる書物は天和二年(1682)に刊行された大淀三千風署「松島眺望集」です。「石巻 川中に大きなる岩あり、このかげ浪巴をなせり、この故にこの名あり」と書かれてあります。
元禄11年(1698)の「牡鹿郡万御改書上」には「川中烏帽子石東西壱問半南北三尺八寸ただし石巻石と申し伝え候」享保4年(1719)の「奥羽観跡聞老志」には「烏帽子石住吉社畔華表前の河に巨石あり、高さ六尺広さ南北三尺東西九尺、その象鳥帽子に似たり」とあり。 安永2年(1773)の「石巻村風土記御用書出」には「当村端郷住古町住吉大明神社地わきに、石巻石、石巻渕御座候に付き、その縁をもつて村名に唱え申し候」と書いてあります。
石巻の地名の由来についてはいろいろな説がありますが、江戸時代にはこの巻石が起源であるとする説が一般によく知られていたようです。鳥帽子は住吉神社の正しい名飯石大島神社の「いびし」がなまってできたものと思われます。
現在羽黒山のふもとにある海石山寿福寺は正保2年(1645)住吉に仙台藩の米蔵が建設される前は大鳥神社の境内にありました。海石という山号は烏帽子石にちなんでつけられたものです。
昭和59年11月石巻市教育委員会
協同組合 石巻商店会

社頭掲示板



大島神社

大島神社は石巻駅の東方5百mほどの旧北上川に面した住吉町海抜9m余の住吉山(愛宕山)南面に鎮座します。
三代実録の清和天皇、貞観5年(863)に「陸奥国勲9等飯大島神社伝伝授五位下」と記される。
延喜式内社で、早くから神験あらたかな神として皇室に崇敬を受けています。
寛永11年(1634)牡鹿湊伊原津から石巻村に移住、中町開祖松本但馬兼満が内神の住吉大明神に合祀。
以来、住吉神社と通称され水難防除の神として崇められ、また住吉神の鎮座を以って、町名住吉の由来と伝わります。
現在の社殿は宝暦3年(1753)に御造営。
明治7年(1874)4月村社に列し、住吉神社と称し、大嶋神社または飯石(いびし)大島神社と称します。

社頭掲示板



大島神社

創祀年代不明なるも「三代実録」清和天皇貞観5年(863、平安)10月29日条に「陸奥国勲九等飯大島神云云授五位下」と見え、早くから神験あらたかな神として皇室の崇敬をうけていた。延喜の制小社に班す。郷党住吉大明神と称し水難防除の神として崇め奉る。現社殿は宝暦3年に御造営されたものである。明治7年4月村社に列す。

宮城県神社庁



陸奥国INDEXへ        TOPページへ


学校データ