鳥屋神社
とやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鳥屋神社 陸奥国 牡鹿郡鎮座

   【現社名】鳥屋神社
   【住所】宮城県石巻市羽黒町1-7-1
       北緯38度25分53秒、東経141度18分10秒
   【祭神】猿田彦大神 (合祀)倉稻魂大神
   【例祭】 9月第2日曜日 秋季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】仁徳天皇55年上毛野田道將軍東征のとき鎮祭
       文治2年(1186)藤原秀衡羽州羽黒山より分霊
       享保9年(1724)伊達吉村参詣
       寛延3年(1750)造営
       文化13年(1816)改修
       明治7年4月村社
       明治35年改修造
       同40年2月幣帛供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【参考HP】 鳥屋神社
   【祭祀】江戸時代は「羽黒権現社」と称していた
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿

   【境内社】八幡神社・水神宮・大井戸神社

山頂の神社。見晴らし良い。羽黒神社と合殿。
中世以降石巻港開け千石船の出入多く、海上安全の守護神として信仰された。
宮城県指定文化財「鳥屋神社奉納絵馬『奥州石ノ巻図』」が収められている。
 仙台藩の財政を支えた江戸廻米制度の基地として栄えた石巻港の様子を描いた絵馬である。廻船が入港する姿、停泊し、荷役する様子、さらには湊村の米蔵群や、北上川の両岸に立ち並ぶ町家などが描写され、それ自体が歴史資料である。また、技法においても黒漆地に金、銀、朱で彩色された蒔絵風の手法で描かれているなど、江戸時代の作風を伝えている。文化2年(1805)に石巻村中町惣若者中によって、鳥屋神社に奉納されたものである。
 (縦86.3cm 横135.5cm 江戸時代)


鳥屋神社・羽黒神社

鳥屋神社・羽黒神社
御祭神 御神徳
鳥屋神社 猿田彦神
船御魂神 みちひらき・交通安全
海上安全・大漁満足
羽黒神社 倉稲魂神
大物忌神 五穀豊穣・商売繁昌
厄除開運・安産守護
御由緒
 鳥屋神社は、「延喜式」に収められている牡鹿郡十座の一社にして、人皇16代仁徳天皇の55年東夷御征討の砌、伊勢神宮内宮末社猿田彦大神に御勅願あり、静海心のままに東奥牡鹿の鳥屋岬の津に着船し、官軍数々利有り、因りて此地に創祀されたと伝えられます。
 羽黒神社は、文治2年 奥州大守 藤原秀衡公羽州羽黒山より分霊して、鳥屋神社に合祀され、享保9年仙台藩主伊達吉村公金百疋奉献、又嘉永3年10月慶邦公御巡行の際金百疋奉献され、五穀成就御祈願雨乞修法の時には金三百疋奉献ありたる由記載してあります。
 この様に、両社は往古より皇室の尊崇国守の崇敬頻る厚く、中世以降石巻港開け、千石船多数出入りするに至っては、海上安全の守護神、近世には特に永い歴史と伝統との上から、交通安全の神としても極めて尊崇されております。
 現在の拝殿は寛延3年の建造、本殿は天皇陛下御在位60年記念事業として、昭和60年改築竣工いたしました。
主な祭典
1月1日 歳旦祭   6月30日 大祓式
1月7日 松明祭(どんと焼) 9月第二日曜日 秋季例祭
立春前日 節分祭   11月中旬 七五三詣
2月11日 紀元祭  11月23日 新嘗祭
2月27日 祈年祭  12月31日 大祓式・除夜祭
5月第一日曜日 春季例祭 毎月1日 月次祭

社頭掲示板



鳥屋神社

宮城県指定文化財
鳥屋神社奉納絵馬
「奥州石ノ巻図」
石巻は、川村孫兵衛重吉(しげよし)の北上川改修工事以来、仙台藩の江戸廻米の基地として発展を続けまた南部、一帯各藩の北上川舟運の基地として、同時に東北地方への江戸文化流入の玄関口として非常な賑わいを見せた。
延喜式内鳥屋(とや)神社の奉納絵馬「奥州石ノ巻図」は、当時の石巻の賑わう様子を蒔絵風に描き出したものである。
黒漆地に金、銀、朱を用いた華麗な絵馬は、港町石巻の肖像画としてばかりでなく、水運関係資料としてまた美術工芸品としても県内に数少ない優品の一つである。縦86.3cm、横135.5cmの画面の中央に北上川と中瀬が描き出され、河口から入港し、または停泊し、荷役する二十数隻の千石船、港と門脇に立ち並ぶ米蔵群や屋並みなどの様子は、「数百の廻舟入り江につどい、人家地をあらそひてかまどの煙立ちつづけたり・・・」(「奥の細道」)と松尾芭蕉が記した情景そのものである。
この絵馬は、石巻中町の総若者中によって文化2年(1805)8月13日に奉納されたものである。作者は会津若松生まれの蒔絵師・長谷三吉衛門義一であることが、絵馬の裏書きによって知られている。
指定年月日(昭和63年11月29日)
平成7年3月 石巻市教育委員会

社頭掲示板




鳥屋神社

仁徳天皇55年(367)東夷叛し、田道をして之れを討たしめ給うにあたり、渡海安全を五十鈴川上内宮末社猿田彦大神に勅願あり無事東奥伊寺之水門鳥屋崎に着船す。官軍しばしば利あり因って当所にこの神を祀ると伝う。(口碑)延喜の制小社に班す。(延喜式神明帳当郡十座の一)後、文治2年(1186、平安)藤原秀衡羽州羽黒山より分霊して倉稲魂神大物忌神を相殿に祀り篤く崇敬する。御社号は御社が鳥屋崎におわすより鳥屋崎神社、又は羽黒権現社と称したが明治の初め現社名に改める。中世以降石巻港開け千石船の出入多く、海上安全の守護神として信仰され現に船名を記した大額が掲げられている。又、仙台藩主の崇敬篤く伊達吉村は享保9年百疋ないし三百疋を献じ参詣している。現在の社殿は寛延3年の造営にかかり、文化13年、明治35年改修造を加えたものである。明治7年4月村社に列し、同40年3月幣帛供進社に指定された。

宮城県神社庁



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