鳥屋神社
とやじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】鳥屋神社 陸奥国 牡鹿郡鎮座

   【現社名】鳥屋神社
   【住所】宮城県石巻市山下町1-2-10
       北緯38度26分4秒、東経141度17分54秒
   【祭神】伊豆之姫命
   【例祭】4月19日 春季例祭
   【社格】
   【由緒】仁徳天皇55年上毛野田道將軍東征のとき鎮祭
       文治2年(1186)藤原秀衡羽州羽黒山より分霊という
       その後の由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿切妻造
       幣殿・拝殿

   【境内社】

丘の上の神社。見晴らしよい。
羽黒山にある鳥屋神社(別掲)の奥宮であるという。


鳥屋神社

仁徳天皇の55年、上毛野田道将軍東征の事あり、海上安全を祈願し無事伊寺水門鳥屋崎に到着したので此の地に港湾の神伊豆能売神を鎮祭ると伝う。(口碑)延喜の制当郡十座の一小社に列る。(延喜式)市内羽黒町に鳥屋神社ありてここを奥宮とする説あり。

宮城県神社庁



奥州石ノ巻図

石巻は、川村孫兵衛重吉(しげよし)の北上川改修工事以来、仙台藩の江戸廻米の基地として発展を続けまた南部、一関各藩の北上川舟運の基地として、同時に東北地方への江戸文化流入の玄関口として非常な賑わいを見せた。
延喜式内社鳥屋(とや)神社の奉納絵馬「奥州石ノ巻図」は、当時の石巻の賑わう様子を蒔絵風に描き出したものである。
黒漆地に金、銀、朱を用いた華麗な絵馬は、港町石巻の肖像面としてばかりでなく、水運関係資科としてまた美術工芸品としても県内に数少ない優品の一つである。縦86.3cm、横135.5cmの画面の中央に北上川と中瀬が描き出され、河口から入港し、または停泊し、荷役する二十数隻の千石船、湊と門脇に立ち並ぶ米蔵群や屋並などの様子は、「数百の廻舟入り江につどひ、人家地をあらそひてかまどの煙立ちつづけたり……」(奥の細道)と松尾芭蕉が記した情景そのものである。
この絵馬は、石巻中町の総若者中によって文化2年(1805)8月13日に奉納されたものである。作者は含津若松生まれの蒔絵師・長谷三吉衛門義一であることが、絵馬の裏書によって知られている。
指定年月日(昭和63年11月29日)
平成7年3月 石巻市教育委員会

社頭石碑



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