箱崎八幡神社として知られている。往古は箱崎山上に鎮座されていたが霊元帝寛文年中麓に遷社したという。 |
拝幣志神社 延喜式内名神大社拝幣志神社 箱崎八幡神社は当八幡町住民の鎮守の神と篤く崇拝せられ町内会の名称も神社の名のもと昭和25年八幡会と名づけて結成せられ爾来町内の発展と町民融和のため神社を中心とした其の運営は洵にに麗しいものがある。 八幡会は神社総代と常に一体となり神社の維持経営に当たり殊に拝殿は天保14年の建造茅葺なるを昭和30年10月拝幣志神社御鎮座1850年祭を記念して瓦に屋根替をし本殿幣殿を改築す。 更に神輿を改装昭和44年2月には366万円の事業費を以て53.5坪の社務所を建立、昭和47年には境内の整地鳥居の改修等施工し一連の整備事業を完成す。 昭和39年石巻市の新住居表示が施行せられ旧田町・北目町の大部分は神社名にあやかり八幡町と改称現在に至る。 本年八幡会結成30周年に当たり4月20日記念式典を挙行し記念事業として手水舎を新築し此の祈念碑を建立して当神社と町内の永遠の発展を希う次第である。 昭和55年4月20日 撰文 宮司 桜谷守雄 福田寿吉 社頭石碑 |
拝幣志神社 延喜式神名帳所謂牡鹿郡十座之一也霊元帝寛文年中箱崎山上ヨリ麓ニ遷社シ箱崎明神ト称シ葛和田藏人ナル者社務ヲ司レリト云フ、其家亡テ後修験明王院別當トナリ社事ヲ執リシト云傳レドモ今ハ神官トテ定レルモノモ無ケレバ知ニ由ナシ、或ハ日本武尊ノ勧請スル所ト云ヘトモ寛永年中焼亡シテ傳記モナク僅ニ迩ヲ遺シタルノミニテ社壇ニ石アリ高サ三尺許横五尺許之ヲ箱石トモ手箱石トモ云又北ニ當リテ圓山ト云アル其下ニ鏡池卜云フアリ之乃古ノ御手洗水ナリト云フ又拝幣志ト如何ナル言力知ラサレドモ今箱石ヲ以テ神宝ト爲シ祀レルヲ思ヘパ『ヲカミイシ』ト云フノ『イ』字ヲ省カリタルニハアラサルカ、若シサモアラバ拝幣志ノ文字ヲ考フルニ石ヲ幣トシテ神ヲ奉祭セシモノカ、此他ハ不詳。 神社明細帳 |
拝幣志神社 日本武尊東征の砌りこの神の御神助によって平定した御神徳に奉謝して勧請したと伝える。(社伝)皇室の崇敬篤く清和天皇貞観元年正月27日即位の恩典により郡内零羊崎神社と共に進階、従四位下に昇叙さる。延喜の制、名神大社に班す。(三代実録、延喜式)古く箱崎山(箱山ともいい、高三尺・横五尺程の石あり。これを箱石・手箱石ともいう。)上に御鎮座ありしが、寛文年中山麓に遷祀して箱崎明神という。葛和田蔵人といえる者が社務を司る。その家亡んで後、修験明王院別当となる。(封内風土記)凡明治40年5月この社をさらに麓の箱崎八幡神社に合祀して社号を拝幣志と改称した。社殿は天保14年上棟、昭和30年改造にかかる。 宮城県神社庁 |