岡石浦に製塩開始当時、製塩の業を司どつた塩土翁命を祀るため水沼の伊去波夜和気命神社から分祀したものと思われる。 その後、寛政8年(1796)今の地に遷祀した。 平成23年(2011年)3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の津波により、渡波地区も津波により甚大な被害を被った。 境内社や社務所・宮司宅にも被害が出たが、鎮守の森に囲まれ、地面より少し高い位置に鎮座する当社拝殿に避難した人々は無事だった。 |
伊去波夜和気命神社 勧請年月知二由ナシ、風土記二曰ク濱大明神社、何レノ時何神ヲ祭ルヲ詳ニセズト云傳フ、後水尾帝寛永中大明神ノ號ヲ受ケ神祇伯三位郷邑氏瀬左衛門二命ジテ宮職トナス。是以テ津田長門ト改称セリトアリ旧ハ濱大明塩盛明神ナリト云ヒシヲ維新二至テ伊去波夜和氣命神社ト云フ、相傳フ當社ハ元當村字岡二在シヲ寛政8年今ノ地二移祀セリト 明細帳 |
伊去波夜和気命神社 いつの創祀か明かでないが、延喜式所載当郡十座の一で、古く字岡の地に鎮座あり、後、寛政8年今の地に遷祀申しあげた。後水尾天皇の寛永年中大明神の号を受け、宝暦12年には神祇伯白河三位卿は郷邑(根岸村)氏瀬左門なる者に命じて宮職とし、ここに津田長門と改名したと伝える。(社伝、封内風土記)俗に浜大明神、又は?竈明神と呼ぶが式内社の故を以って明治初年現社号をする。明治7年4月村社格加列。 宮城県神社庁 |