和渕神社
わぶちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】香取伊豆乃御子神社 陸奥国 牡鹿郡鎮座

   【現社名】和渕神社
   【住所】宮城県石巻市和渕町1
       北緯38度31分49秒、東経141度13分16秒
   【祭神】経津主神 武甕槌神 大己貴神 高おかみ神
       (合祀)須佐之男命 三吉大神 倉稻魂命 火産靈神

   【例祭】4月第3土曜日 春季例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】大同2年(806)創立
       天喜年中源義家齋田寄進
       文治年中頼朝祭田寄進
       明治7年村社
       明治43年3月幣帛供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】

川の合流点にあり。小山の頂。集落奥。賽銭箱は中の金が見える素朴なもの。参道は自然石の一枚板を敷き詰めてある。坂上田村麻呂が大同2(806)に木船明神を祀ったのがはじまり。
源義経が鎌倉を追われ平泉の藤原氏を訪れて途中のこと、朝からの歩きで疲れた義経たちは、ここでひと休みすることにした。昼食をとり、背負ってきた笈の中から柳の枝を取り出して道端に差し、その後義経たちは和渕神社にお祈りをし、平泉を目指して行ったと言われている。差した柳はその後増えて大変大きくなり、林となって続き、毎年春となると新芽がきれいに色づき、旅人や村人たちの目を楽しませたと言われている。


和渕神社

延喜式内社(牡鹿郡十座のうちの一座)で風土記御用書上げによると田村麿将軍大同2年(806)遠田郡箆岳へ十一面観音を、建立の節に和渕山本宮に「木船明神」を勧請したのがはじまりと、伝えられる。その後、和渕村の火災により別当屋敷とも類焼し、関係記録は焼出した。
又、産土神和渕神社の由緒と祭典について昭和17年10月日発行和渕神社氏子総代謹誌によると、大古香取神社の神船、常陸より八重の塩路に乗り牡鹿郡和渕山の西辺(船島)に着き、その東方に船を留め(船澤)山頂に「船澤山 猿霊 ( さだま ) 峠(樹霊峠)に宮柱を立て神様を祭祀したとも伝えられる。
年代勧請不詳
祭神 経津主神
同  武甕槌神 国大平( くにさだめ )の武神
同  大巳貴神 (大国主命) 国立( くにつくり )経営の神
同  □神( くららのかみ )蛇を除く神
昭和63年6月29日
河南町教育委員会

社頭掲示板



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