近世に於ては貴布根大明神と呼ばれていた。 本来の祭神は不詳である。 養老元年(717)に荒氏が請戸小島に社を建てて奉齋したのに始まり、その後島が海没したため、これを現在地に遷座した(この島は現在海中に暗礁として残つている)。 2011年3月11日発生した東北地方太平洋沖地震により、浪江町の沿岸部は津波の被害を受けた。海のそばに鎮座するくさ野神社も社殿がすべて流出、宮司の家族も犠牲となった。 2012年2月19日には、仮社殿が震災前の社殿鎮座地に造営された。掲載写真は震災以前のものである。 神社の社殿が完全に破壊され、「御神体」が行方不明になってしまった場合、どのように神社の「御神体」「御神霊」の回復を図るかは、神道理論的には結構難しい問題がある。くさ野神社の場合は、もともと飯舘村の綿津見神社がくさ野神社の「御分霊」だったので、逆に綿津見神社から「御分霊」を受ける、という形を取った。 |
縁起伝説 この神社には興味ある縁起伝説がある。奥相志にはよくそれを示し3つの同じようなパターンの話を収めている。尚、伝説の古い形は、信仰に根ざしたものであり、社寺の縁起伝説は、これに相当する。 縁起1 ある昔、この浜に一艘の船が流れ着いた。船中に木彫りの神女が9柱いた。そこで怪しんだある者が、これに立ち向かわんとするが、新汐渡彦なる夫婦が、これを制止した。その夫婦に神が告げることには「私は、この様にして東国に止まった。私を信ずる者は、国家安全、武運長久云々である。また、海を鎮め船の難を救うから私を祭れ」ということであった。そこで教えの如くすると、この神を祈るや海は直ちに鎮まるのだった。しかし、年が経ち、はじめにこの神を祭った小島は海の没し、そのために現在の地に神を祭ることとなった。 縁起2(寺社来暦) 請戸の神は、天竺(インド)或は震旦王国(中国)の后である。もとこの夫婦は仲が悪く、后を空舟に乗せ海に流したところ請戸沖に流れ来た。村人の某氏がこれを見つけ怪しんで遠くへ放した。しかし、別の村人が釣りをしていたところ、その舟が寄ってきたため、それを岸に着けたところ女がいた。そのため養った後、これを祀った云々。 縁起3(標葉記) 昔、この大明神は新羅の国から請戸小島に現れた女神である。その時2人の某氏がこれを拝した。1人は何もしなかったが、他の1人は小島へ社を造って祭った云々。 これらの伝説は、海から流れ寄った特殊なものを祀るという「漂着信仰」に付随する典型的な伝説の型である。 http://www.newcs.futaba.fukushima.jp/02anba/2003/kusano.html |
くさ野神社 父の遺志継ぎ祈願祭 浪江・くさ野神社「安波祭」の日 「心の支え」守る 仮社殿の前で行われた復興祈願祭。父の遺志を継いだ倉坪さんが神事に臨んだ ■新宮司 三女の倉坪郁美さん 大津波で全てを流され、原発事故で警戒区域となっている浪江町の請戸地区にあるくさ野(くさの)神社。19日、特別に町の許可を得て、亡き父親の後を継ぎ新宮司となった倉坪郁美さん(40)=横浜市=ら神社関係者約50人が神社の跡地に立った。本来は1000年以上の歴史を誇る同神社恒例の「安波(あんば)祭」が開催される日。祭事に代わる復興祈願祭を行い、東日本大震災の犠牲者の慰霊もした。一方この日、浪江町民が避難生活を送る福島市の仮設住宅などでは、祭りで奉納されていた伝統の踊りが披露された。町民らは古里へのそれぞれの思いを踊りに重ねた。 かすかに波の音だけが聞こえる。震災から11カ月が経過した現在も、辺りの復興は進まず、何もない景色だけが広がっている。神社境内には本殿の台座だけが残る。そこに県神社庁などが協力し、岡山県神社庁から提供された仮社殿を設置した。厳粛な雰囲気の中、新宮司の就任奉告に続き、双葉郡内の神職らが協力して倉坪さんが祝詞を奏上した。馬場有町長ら参列者の代表がそれぞれの思いを込め、玉串をささげた。 大震災による津波で、倉坪さんは父親で宮司だった鈴木澄夫さん=当時(72)=と母親の照美さん=当時(68)=、長姉の鍋島弥生さん=当時(43)=を亡くした。弥生さんの夫で祢宜だった彰教さん(46)は現在も行方不明のままだ。倉坪さんは三女で、結婚して家を離れていたが神職の資格を持っていた。あまりに悲しい現実だったが、神社を守り古里の復興のために父の遺志を継ごうと、昨年10月に宮司に就任した。父たちが取り仕切っていた伝統を絶やさぬ覚悟を決めた。 くさ野神社は歴史と伝統ある社として請戸地区住民の心のよりどころだった。毎年2月の第3日曜日には神社を中心に海上安全や豊漁、豊作を願う安波祭が繰り広げられていた。本殿や境内では神楽のほか、子どもたちによる田植え踊りなどが奉納された。たるみこしを担いだ若衆が地区内を練り歩き、真冬の海に入る勇壮な姿は相双地方の風物詩として親しまれていた。 倉坪さんは震災以来初めて訪れた請戸地区の惨状に言葉を失ったという。その中で神事を務め上げ、「住民の精神的支えだった神社再興の一歩となった」と前を見た。今後への不安はある。それでも「多くの支援を無駄にはできない。氏子の皆さんと相談しながらしっかりと神社も伝統も継続していきたい」と心に誓った。 福島民報2012/02/20 |