温泉神社
おんせんじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】温泉神社 陸奥国 磐城郡鎮座
          (旧地社)温泉神社【旧地】

   【現社名】温泉神社
   【住所】福島県いわき市常磐湯本町三函322
       北緯37度0分30秒、東経140度50分43秒
   【祭神】少彦名命 大己貴命 (配祀)事代主命
   【例祭】5月2日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】建立年不詳
       白鳳2年(637)9月9日、湯の岳より下山して里宮として遷座
       暦応3年(1340)観音山の中程(現社地の北向)に社地を新築し遷座
       明和5年(1768)現在地に遷
       明治元年12月官社
       同4年村社
       明治12年12月15日郷社
       昭和5年5月24日県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】創建時は御手洗湯ノ辺に在
        暦応3年(1340)観音山の中程(現社地の北向)に遷座
        明和5年(1768)現在地に遷

   【祭祀対象】湯の岳(佐波古峰=三函(箱)峰)、温泉
   【祭祀】
   【社殿】本殿入母屋造
       幣殿・拝殿・神樂殿・社務所・集会所

   【境内社】粟島神社・出雲神社・三輪神社・八坂神社・津島神社
       智々父神社・足尾神社・若宮神社・瘡守稲荷神社・別雷社・歳徳竃處社
       坂三峰両所神社・子種神社・古峯神社・大山祇神社・天神社・水神社


湯本の温泉街の中央に鎭座している。
社名から察するに、本来の祭神は湧き出る温泉そのものであり、これが霊格化されたものであろう。
上代の昔、湯の岳の山頂に鎮座していたが天武天皇白鳳2年佐波古神主の大祖小子部連芹鈞の三男直足勅命により、この湯本三函の地に遷座し、さらに明和5年現在地に遷座。
暦応3年(1340)観音山の中程(現社地の北向)に遷座とあり、現在観音山公園の中腹、野口雨情の「七つの子の碑」のあたりにあったものか。
境内西約4.5Kmの湯ノ岳山頂近くに数個の巨石あり、これを磐座として當社で祀つている。近年「むすび磐境」として、社殿裏山に湯ノ岳から運んで来た巨石で造つた磐境がある。
天武天皇の白鳳の時代から佐波古氏が代々世襲神主として連綿と継承されている。


由緒

佐波古神社とも称す。延喜式内社であり、社家に伝わる「神幸由来記」など古文書参考書によれば、神代の昔、湯の岳が神体山であって信仰の山である。
上古逸早く少彦名命鎮座あり、後に日本武尊当地進駐の折、大和国現在奈良県三輪大社の主神、大物主大神「大巳貴命」が合祀されて、以来二神が郷民によって祀れた。
白鳳2年9月9日、湯の岳より下山して里宮として遷座され、三遷して現在地に遷ったのが延宝6年であると記録さる。尚、例大祭には、泉下川浦剣の浜より汲み来た潮水を供え、神事を行う各戸は五月の山野の花を「カザシ」て神を迎へ祝う。これすなわち、花祭であり、三枝祭であり、古来「サツキ」祭と称している。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




温泉神社

当社は40代天武天皇2年(674)初代神主小子部宿禰佐波古直足が宮仕いしてより1320年。56代清和天皇貞観5年(863)10月29日従五位下の神階を授かる、1130年前なり、それより43年後60代醍醐天皇延喜5年(905)延喜式神名帳に登載せらる。
1088年前なり、これ延喜式内社と言われる所なり。
此処より西方5Km霊峰湯ノ岳(600m)を神体山としている。
鎮座地は三遷して慶安四年(1651)今より342年前此の三函の丘に遷座して現在に至っている。
皇太子鮫下御成婚
伊勢神宮六十一回正遷宮
祝賀年 平成5年 84代神主 直貞誌之

社頭掲示板



温泉神社

福島県(磐城国)いわき市常磐湯本温泉
(元県社)
延喜式内
以和貴温泉神社参拝便覧
常磐線湯本駅下車、自動車三分、徒歩7分、三函地内温泉街中央
社務所電話(0246)42-2007
温泉神社の特徴
由緒
一、延喜式内社(紀元1587年前制定、約1054年前)で当時の全国神社名簿に登載された古い格式あり。
一、日本民族初期の神社形態である神体山(西方一里、標高600mの湯ノ岳=佐波古〔三箱〕山)と関連あり。
一、別称佐波古神社とも云い、社号と地名と奉仕神職の姓が一体である。
一、天武天皇の白鳳年間より佐波古神主が永年連綿一貫奉仕している。
一、歴代神主の霊を祀る祖霊社が在る。
一、飛地境内の御幸山(南方約十丁、大祭の折神輿祭事の御旅所)を所有する。
祭儀
○大祭時には氏子総代は裃を着用し、代表者は祭詞を奏上する。
○氏子総代は勿論一般参列者及常時祈祷祈願者は備付けの白衣を着用する。
○氏子総代全員参列の下年間二十余度の祭儀を厳修する。
○月次祭時には氏子総代参列者一同による神語を唱和する。
○海潮水汲神事 例大祭執行の前日泉町下川部落の剣浦に神職齋員及び神社総代数名白衣着用して海潮水を小樽に汲み取り、持参して神前に奉奠し且つこの潮水をハラヒに使用する。此の間下川部落約三十戸を戸毎に回り酒迎いの神事を行う。尚毎月7日にも海潮水を汲み翌8日の月次祭に用い、9日湯ノ岳の磐境神座に供えて登拝行事をする。
建造物
一、木造社殿の用材は総欅(ケヤキ)、銅板葺である。本殿(高四間四坪)元禄8年造営。幣殿(六坪)、拝殿(間口六間半奥行三間半廻廊付)大正7年造営、神楽殿、由緒掲示舎がある。
一、石造
△、鳥居(大)高さ二十尺、笠木長さ二十五尺、柱と笠木の太さ五尺三寸、明きの間十三尺五寸
(小)高さ十三尺五寸、柱太三尺六寸二基とも白御影石
△、燈籠三対、総白御影石積み、型高さ十三尺、外同型一基
△ 、狛犬三対
○赤御影石積み 本体黒色玄武岩 高さ二尺一寸 総高さ六尺六寸大正五年建立
○白河石積み 本体も同じ 高さ二尺五寸 総高さ七尺昭和17年建立
○白河石、社殿用本体のみ 高さ二尺三寸昭和14年建立
△、歌碑二基
○勅撰拾遺和歌集所載の古歌を詩人草野心平氏の書、本体は黒御影石、碑高六尺六寸、
総高さ十二尺(歌詞は後記にあり)
○藤原康基の作詠竝に書、白御影石総高さ十一尺、碑実体高さ六尺三寸(歌詞は後記にあり)
△、句碑一基 高さ五尺三寸、本体二尺
○内藤風虎(平藩主)、露沽(風虎の子)親子の作詠、当杜を詠じたもの。(句詞は後記にあり)
△、磐座 本殿裏の高台に六主毘大神として、主のつく神名を有っている六神を祀る巨石。
(天之御中主、大地主、大物主、大国主、事代主、経津主、である。)
△、陰陽石陽物・白御影自然石高さ二尺五寸、円周四尺五寸、台二尺二寸、総高さ四尺七寸、
女陰石・川石の自然石高さ二尺二寸、台二尺三寸、総高さ四尺五寸、
△、百度詣石 高さ三尺四寸、総高さ五尺一寸、
△、温泉浄め所 佐波古の御湯を泉と湧き出し、参詣者の浄め処となす。
高さ五尺二寸、幅三尺六寸の黒御影石。
△、石柵 側参道に信仰者、崇敬者の氏名、商号を刻した130本の白御影の石柱。(高さ三尺、巾五寸)
一、花壇参道石階の両側に数種、数十株のつつじと自然石の花壇あり。
一、陰陽物 椿材(高さ四尺、太さ円周二尺三寸)の陽物、その他大小十数箇の石質の男根の陽物。
自然木の高さ六尺、立人型の女体の姿形。
一、福神像 大黒(大国主命)、恵美寿(事代主命)の色彩った二体、木造、座高二尺。作者伝来不詳。
神輿 三基
大型 総高さ七尺、台輪長さ四尺角、重量二百貫、鳳凰重さ七貫、総体黒地漆塗、金具の趣好絶妙、
輿丁六十名。
中型 総白木樫材、八坂天王神型、竜蛇十二支の彫刻雄麗、重さ百貫、文化財的逸品。
小型 少年用。大型みこしと同型で約八分の一の容積重量あり。
扁額六面
一、神号額 黒漆塗、佐々木文竜の篆書を彫ったもの。享保4年伊賀国上野の人良倦の奉納、
朝顔縁付竪四尺、横二尺。
一、神号額 日観道人の書(奈良、奥蔵院の住僧、剣豪宮本武蔵との出合いあり)、白木朝顔縁付
竪二尺三寸、横二尺。
一、神号額 大正6年杜殿新築の際、出雲大杜宮司大社教初代管長司法大臣千家尊福卿の書を、後藤桂仙の彫刻作品。欅材、象眼入り三匹のカラミ竜の縁付竪四尺、横一尺八寸。
一、昭和二22年8月4日の今上陛下御巡幸記念の作品、松平慶民宮内大臣の絶筆。樫材、竪五尺、横三尺三寸、先代桂仙の作。世界四大宗教の真随の神道の誠、道教の仁、仏教の慈、基督教の愛、の金文字を彫す。
一、自治大臣松平勇雄氏の顕幽恵徳の書を桂仙の刀になるもの。竪五尺、横三尺三寸の欅材。
樹木
一、いわき市指定の保存樹木。
庭漆(神樹)樹齢二百余年、樹高四十六尺、幹囲五尺三寸、昭和55年、指定番号75。
一、 公孫樹六本、目通り円周七尺、直径二尺二寸、高さ数十尺、銀杏の実を以って当社の護符とす。
御由緒縁起概要
祭日 5月2、3、4日。観光温泉さつきまつり。縁日、月次祭8日。
杜号 温泉神杜(湯神、湯泉、湯殿ともいう)佐波古神杜ともいうのは湯の岳(佐波古峰=三函(箱)峰)を神体山とし、鎮座地が三函地内で世襲神主家が佐波古氏である故である。
社地 上代の昔、湯の岳の山頂に鎮座在りしを天武天皇白鳳2年(1352年前)佐波古神主の大祖小子部連芹鈞の三男直足勅命により、この湯本三函の地に遷座し、最終に明和5年(210年前)現在地に遷座す
祭神 大己貴命(大国主命〔大黒〕、大名持命、大穴牟遅命、大物主命、八千矛命)。小彦名命(久斯命、薬司神)事代主命(恵美寿神)
神徳 開運湧福、健康保持、寿命長久、医療厚生、温泉療病、酒造醸造、縁結婚姻、商売営業、海漁満捉、農産豊盛で地下資源増産の神。 末社 常磐城稲荷神社。三輪神社(温泉神社とは特殊関係にある大物主命)。出雲神社(大国主命の総本社)粟島神杜(少彦名命)八坂神杜(素佐之男命、大己貴命の父神)。三島神社(事代主命、大己貴命の子神)。智々父神社(聖徳太子尊、菅原道真命、八意思兼神=文学の神)。足尾神社(葺穂神社=面足神、惶根神=神代八神の内の二神)
常磐城稲荷神社
初め瘡守イナリと称した。当地は温泉歓楽地であったので、自然花柳病が発生したり、又泉質がこの病を治すのに効果があった所から、この社名がついたものである。近世に至って、処々の廃れたイナリ社の神霊をも併せ祀って、常磐市(旧湯本町)、旧磐城国の名を組み合わせ、常磐木のコトダマの文字をイナリ社につけて神号とした。生成育栄、福禄長寿を意味している。
磐境 むすび磐社
むすびとは六主毘、生巣日、産霊、結ぶの意である。
六主毘とは主の字で表わす六柱の神々のことで、天之御中主、大地主、大物主、大国主、事代主、経津主です。
この神々は宇宙創生の時、日本の国造りの上代の時に働かれた神々の呼称で、特に大物主、大国主、事代主の神々は当杜の祭神として祀られている。
生巣日、産霊とは霊魂、物体即ち生命と身体、もろもろの万象を生産する働きをいう。万象悉必ず繋りを持ちつ持たれつして成り立っているのが結び結ばれることである。宇宙、大自然、天地人、神と人、動、植、鉱物在りと在らゆる物全ての成立の根源、原理をいう。このことを当社の神体山の温泉岳(湯ノ岳)から運んで建てた磐石を以て表現したのが即ちこのむすび磐杜である。磐社とは磐石の如く動きない威厳のある屋代、家城で磐城・磐代という福島県の旧国名に一致する所の神の坐す処という意味である。
御祭神
大己貴命(大国主神)
事代主命(えびす神)
少彦名命(医薬司神)
御神徳
開運湧福。厄災消除。
智育増進。延命長寿。
佐波古の古歌抜粋
あかすして別れし人の住む里はさはこのみゆる山のあなたか 拾遺集(読人不知)(歌碑参道にあり)
たまきはる命ものふと陸奥のさはこの.みゆはつきすわくなる 藤原康基卿(歌碑境内にあり)
世と共に嘆かしき身は陸奥のさはこのみゆと言はせてしかな 藻塩草(大納言師氏卿)
なからいて世々に経りぬるかいし有れは嬉しさはこのみゆきなりけり 夫木集(光友卿)
陸奥のさはこのみゆにかりねして明日は勿来の関を越えてん 西行法師
いたつきも癒えて都に帰りしはさはこの御湯のしるしなりけり 片岡侍従
佐波古哉筑波も甲斐も冬鏡 露沽(句碑境内にあり)
ほとときすなくやさはこの宮柱 佐波古神主
沸き返るさはこの御湯は大己貴小彦名の神の賜 佐波古神主
平成4年5月 調製

由緒書



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