敷玉早御玉神社は郡人が玉造りを業としていたものと思われ、此の人々の祖神、玉造の祖神を奉祀したものであろう。 元禄時代に勧請された諏訪神社を式内社としたものとする考えもある。 |
敷玉速御玉神社 本社は平安初期西暦790年代対馬長崎県上県郡峰村国幣中社海神神社祭神豊玉姫命を分霊し玉依姫命と合祀敷玉早御玉神社と銘し奥州一百座に列せられ五穀豊穣子孫繁栄の守神として旧敷玉村楡木字諏訪に鎮座す 社格 延喜式内社 神木 タモノ木 社頭掲示板 |
敷玉早御玉神社 志田郡内唯一の延喜式内社で「奥州一白座」の中の一社であり、平安初期の勧請とみられるが、本社は対馬国(長崎県)上県郡峯村の国幣中社海神神社(祭神豊玉姫命)を分霊したものといわれ(歴史研究者・三原良吉)往昔祭礼等には国司探題職などの高官が幣帛を奉納するのが恒例になっていたと伝えられている。社前には奥州一百座神社と彫った碑が立つ。明治5年11月村社に列す。旧敷玉村は社名より採択された旨村誌に明記されている。 宮城県神社庁 |