黒沼神社
くろぬまじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】黒沼神社 陸奥国 信夫郡鎮座

   【現社名】黒沼神社
   【住所】福島県福島市松川町浅川木戸前1
       北緯37度41分2秒、東経140度28分12秒
   【祭神】渟仲倉太珠敷命 石姫命 (配祀)申田彦大神
   【例祭】4月2日 春季例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】欽明天皇のとき黒沼大明神を祀る
       天正10年(1582)本殿造営
       享保6年(1721)3月火災
       その後現在地に遷座
       元文2年(1737)8月11日正一位
       明治5年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地不詳。黒沼の畔か?
        江戸中期に現在地に撰

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】御霊社・金剛山

第30代欽明天皇の皇子淳中倉太珠敷命が東国の不穏を静めるために行幸し、信夫湖に住む大熊を退治したものの疲労甚だしく崩御したとの噂があり、それを聞いた母石姫が慕ひ来たが、子が死んだと聞かされ嘆きの余り黒沼に身を捨ててしまつた。
欽明天皇のとき地名にちなんで黒沼大明神として祀った。


由緒

第30代欽明天皇の皇子淳中倉太珠敷命が東國の不穏を静めんがため行幸し、信夫湖に住む大熊を退治したものの疲労甚だしく崩御したとの噂を傳へ聞いた母石姫が慕ひ來たが、子が死んだと聞かされ嘆きの余り黒沼に身を捨ててしまつた。供奉の健夜依米主從四人は嘆いて黒沼赤沼を巡見したところ、古淺川の自現明神のお告げによつて大岩を切開き、黒沼赤沼の水を大熊川に抜き干潟となして石姫を埋めた。後、欽明天皇に奏聞に及び地名にちなんで黒沼大明神と宣命を蒙り齋き祭つた。皇子は征伐の後帰京して第三十一代敏達天皇となつたと言ふ。

明治9年11月神官明石重富の『記録書上控』



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