鹿島神社
かしまじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】鹿島神社 陸奥国 信夫郡鎮座
          (奥の院)鹿島神社奥の院

   【現社名】鹿島神社
   【住所】福島県福島市岡島竹ノ内62
       北緯37度46分59秒、東経140度30分38秒
   【祭神】武甕槌神
   【例祭】10月第3日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】成務天皇の代に鹿嶋大神宮を高松山の頂上に勧請
       後年 社地を源氏山に遷
       その後現在の竹ノ内に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初高松山の頂上に勧請
        安元年中源氏山に遷
        その後現在の竹ノ内に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】淡島神社

成務天皇の代に信夫国造久麻直命が常陸の鹿嶋大神宮を高松山の頂上に勧請したと伝。
あるいは、往古天神平に鎭座していたのを額塚に遷し、神威による通行者の落馬があつたので高松嶺に遷したが、なお神威止まず、高倉天皇に奏聞して安元年中源氏山に遷し、更に現在の竹ノ内に遷したとも伝える。
高松山(192m)は当社の東にある。山頂には奥ノ院の石祠がある。


鹿島神社

延喜式内 鹿島神社
御祭神 武甕槌命(たけみかつちのみこと)
 人皇13代 成務天皇の御代 信夫国造 久麻直命(しのぶのくにのみやつこくまのあたいのみこと)が東北開拓祈願の爲 常陸の鹿島大神宮を高松山に勧請した 後年 社地を源氏山に遷したが 醍醐天皇の延喜年間には信夫五社の一として国史に載せられた古社である 高倉天皇の安元2年(1176)には勅使を御差遣せられ その後 南朝の忠臣 北畠顕家は その臣 高松近江守定隆をして再興せしめら 寛延年間 火災の爲焼失 後 規模を縮小して現在地に斎祀し 治水農桑 悪疫退散の神として郷民の信仰をあつめ今日に至った
 毎年秋季に行われる奇祭 水かけ祭は 昔 この里に悪い病が蔓延した時 神のお告げにより それの平癒を祈願して 水かけを行った処 霊験忽ち現れて悪疫は一掃された 爾来 毎年 無病息災 村中安穏を願って水かけを行い 延々八百数十年の永きに亘り継続されて来たものと伝えられる
 氏子を七組に分け 毎年各組の持廻りで祭礼が行われるか これは頭屋制と云って 神社神道以前の斎祀の在り方で 全国的にも珍らしい制度である 福島県より重要無形民俗文化財に指定せられ 又 福島県十大祭に列し 祭礼の御神酒は特に濁酒の醸造が公許されている
宮司 四代 阿部精一 代
元責任総代 八十三翁 宍戸二郎 撰

社頭掲示板



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