鹿島神社
かしまじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】鹿島神社 陸奥国 信夫郡鎮座

   【現社名】鹿島神社
   【住所】福島県福島市鳥谷野宮畑8
       北緯37度44分4秒、東経140度28分4秒
   【祭神】武甕槌命
   【例祭】10月第1日曜日 秋季例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】延暦元年(782)常陸国の鹿島神宮から勧請
       延暦元年5月封二戸
       宝永年間(1704〜8)火災
       天明元年(1781)4月火災
       天明2年7月11日正一位
       天保8年(1837)火災
       明治4年10月10日郷社
       明治8年9月27日村社
       明治29年12月再び郷社
       昭和50年7月19日焼失
       同51年(1976)10月鉄筋コンクリート造とし再建

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造銅板葺
       拝殿・幣殿・神庫

   【境内社】天神神社・八幡神

延暦元年(782)常陸の国 鹿島神宮より分祀されたと伝える。
当社と小田鹿島山の鹿島神社は江戸期から明治にかけて激しい式社論争を行った。


鹿島神社

延喜式内社正一位郷社鹿島神社由緒
鎮座地 福島市鳥谷野字宮畑8・9・10番地
御祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
例祭日 10月第一日曜日(旧10月9日本祭り)
由 緒 鎮座は延暦元年(782)で、常陸の國 鹿島神宮より分祀された
延喜式内社信夫五社の一社に列せらる。 「続日本紀巻三十七」に
「按ずるに桓武天皇延暦元年壬戌5日、常陸國言祈祷鹿島神討はつ凶賊神験非虚望寛位封奉格勳五等封戸云々」とある。天明元年(1781)4月火災により、同2年鳥谷野羽田喜三郎氏が拝殿を建立し、同年7月光格天皇の御世、勅宣奉授し「正一位」を授けられ、 郷民勅宣社として崇敬をあつめた。その後、建替えの棟札の中に福島城主板倉甲斐守重房の武運長久の為の祈願棟札も見つかっていることから古くから開運の神として崇敬が厚い。
旧社格 明治4年10月10日郷社に列せらる。明治8年9月27日には村社となり、明治29年12月再び郷社に列せらる。
社 殿 享保8年(1722時の領主板倉勝里朝臣社殿一切を改造。
天明元年(1781)4月火災にて焼失。
同2年2月拝殿を建立する。
昭和28年(1953)社殿老朽化の為大改築をする。
同50年火災にて焼失。
同51年(1976)10月鉄筋コンクリート造とし再建。
神 輿 天明2年(1782)正一位を奉授の折り京都にて購入する。
文化13年(1815五)破損のため京都にて購入する。
以後、例祭には神輿渡御を行い、昭和38年には大修繕を施し、現在も若者が担ぎ、氏子全域を巡っている。
末 社 境内社 養蚕神社(保食命) 疱瘡神社(月夜見命)菅原神社(菅原道真公) 稲荷神社(稲倉魂命)大瀧神社(不動明王) 白山神社(白山比当ス)道光内稲荷(鍋冠の狐)
境外社 八幡神社(誉田別命)水汲田地内
境内神苑 鎮守社
「鹿島神社、東西八間、南北弐拾壱間、本殿七尺四方、拝殿四間、
裏に松大古木三株あり、廻り壱丈余り、四方に枝葉し高さ雲間を凌ぎ、碧樹中苔衣す、是に因って之を見れば社祠の久しく、幾百歳に及ぶ、里人信夫一の古木と云う、其の外に松杉樅樫等数本あり」昔は境内も廣大で多くの木々があり陰深とした鎮守の杜を形成していた。

社頭掲示板



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