かって吉田小学校の地にあった龍光寺に祀っていた月山大権現を文久元年(1861)6月現社地に移転し、月山神社と改称。 鹿島伊都乃比気神社とされる小祠は、以前は吉田地区作田の民有地内にあり、社殿は三尺四面のものだった。 明治43年2月8日月山神社に合祀。 |
月山神社 勧請の年代は定かではないが、以前は月山大権現と称し下大畑の龍光寺に祀られていたが、文久元年6月に現社内に移転して、明治2年月山神社と改称した。明治6年1月村社に列せられ、同43年2月延喜式内社、鹿島伊都乃比気神社及び八幡神社を合併奉祀し現在に至る。本殿は、流造である。現存されている奉納品の鰐口には「宝暦8年」と記銘され、また昭和46年7月の本殿解体新築の折には、蟇股に「文化十一年云々」と奥書されていた。戦時中はお百度参りで郡内外からの参拝者もあったが、終戦後は神輿の渡御は勿論暁参り等も半減している。 宮城県神社庁 |