鹿島緒名太神社
かしまおなたじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鹿島伊都乃比気神社 陸奥国 曰理郡鎮座
   【延喜式神名帳】鹿島緒名太神社 陸奥国 曰理郡鎮座


   【現社名】鹿島緒名太神社
   【住所】宮城県亘理郡亘理町逢隈小山字西山21
       北緯38度4分33秒、東経140度49分40秒
   【祭神】 武甕槌神
   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】景行天皇41年8月6日創建
       往古は小山村一村を神領としていた
       天慶4年(941)北鹿島の樫山に遷座
       天正の戦乱で廃絶
       貞享3年(1686)現社地に遷座
       明治5年11月村社
       同44年5月神饌幣帛料供進指定神社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往古三門山の上にあった
        天慶4年(941)北鹿島の樫山に遷座
        貞享3年(1686)現社地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「鹿嶋大明神」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・社務所

   【境内社】

現在の社、鎮座地には諸説ある。
現在の「鹿島緒名太神社」は本来は「鹿島伊都乃比気神社」であり、緒名太神社は後にここに合祀されたものとする。
第二の説は、小山村に祀る「鹿島緒名太神社」が伊都乃比気神社であり、緒名太神社は鹿島村(亘理町逢隈鹿島)に鎭座すると説く。
第三は現在の鹿島緒名太神社の社伝に説くもので、往古は緒名太神社の東側に伊都乃比気神社の社殿があり、そこに祀られてゐたが、後廃絶したとする。
第四は、宮城県亘理郡亘理町吉田字作田にあった小祠「鹿島社」が鹿島伊都乃比気神社であるとするもの。
「鹿島社」は上大畑部落の西、山寄りの地にあったが現在は失われている。
また、鹿島緒名太神社・鹿島天足和気神社との関連には2説あって、
一説は、式内鹿島伊都乃比気神社と同殿とする。当社は本来は伊都乃比気社神社であったが、緒名太神社を合併したが、名称は緒名太神社一社として伊都乃比気神社ノ名号を失ったとする。
一説は、現在の緒名太神社の東一間半に鹿島伊都乃比気神社が並立したが、その後廃絶したという。
現在の緒名太神社の社地右手は同規模の社殿を一社建てうるほどの空地になつている。


鹿島緒名太神社

鹿島三社の一つである。三門山から北鹿島に遷された後、五代実氏が貞享3年(1686)に北鹿島からここに遷した。寛政3年(1790)に建立された拝殿が、現在の御輿庫である。現在の社殿は、明治41年(1908)に建立された。

社頭掲示板



鹿島緒名太神社

景行天皇41年(西暦111年)辛亥8月6日、式内鹿島神社の一つで東北鎮護のため勅命により勧請したと伝えられ、延喜の小社に班す。明治5年村社に列す。同44年供進神社に指定された。本殿は、流造である。往古の神領地は小山一円であったが、天正年間の兵乱で廃絶するにいたった。境内に現存しあるものに寛保2年奉納の高さ三尺の奉献碑、同年の石堂、寛延2年2月3日の石堂、これらと並んで菊の紋入りの石堂も建ててある。また、昔を物語るものとして礎石、鏡石と称されているものが今に残っている。

宮城県神社庁



陸奥国INDEXへ        TOPページへ


学校DATA