賀美石神社は、谷地森本郷に鎮座されてあった。 明治41年谷地森内の四社、加美石神社・八坂神社・神明社・八幡神社を根岸の丘上八坂神社境内に合祀したs。 「現在、この旧社地は8m四方に縮少され、その中奥の神座石が大昔を語るのみである。」とあったが、「神座石」は平成10年(1998)まで旧社地に残されていたが、ほ場整備事業の実施に伴い現社地に移されている。 |
延喜式内 賀美石神社 この神社はもと本郷石神囲に鎮座。南北26間(約46m)東西25間(約45m)の社地を有し、今石神社とも呼ばれていた。猿田彦命を祭神とするのは後世のことで、本来は石神社の名もあるとおり巨石を御神体とする神体石神であった。勧請年代については不明だが、8世紀代の陸奥国司による奉弊社といわれており、町内では最古の神社となる。大正4年(1915年)、内務省の訓令により旧谷地森村内の八坂神社〔天王様)、神明社、八幡神社と合祀され、八坂神社のあった現在地に移された。 「神座石」は平成10年(1998年)まで旧社地に残されていたが、ほ場整備事業の実施に伴い現社地に移されている。現在の本殿は賀美石神社の本殿を移築したもので・安永8年(1779年)の造営、拝殿は明治12年(1879年)の造営である。 ※延喜式内社.平安時代初期に編纂された法制書である「延喜式」の神名帳に記載され、当時朝延から尊崇を受けていた神社で全国で2861社,県内では50社がある.郡内にはほかに色麻町の伊達〔いだて)神社、小野田町の飯豊〔いいとよ)神社の2社がある。 平成12年(2000年)2月1日設置宮崎町教育委員会 社頭掲示板 |
賀美石神社 当社の勧請年月詳ではないが、延喜以前の古社にして郡名村名共に神号に因るものという。故に当社は郡の鎮守と仰がれ給うところである。延喜の制国幣小社に班す。別当善寿院(本山派修験)世世社事を執り明治に至る。明治5年4月村社に列せられた。大正4年10月大字谷地森鎮座の八坂神社、字根岸鎮座の神明社、長丸木の八幡神社を合祀今日に至った。 宮城県神社庁 |