飯豊神社
いいとよじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】飯豊神社 陸奥国 賀美郡鎮座
   【延喜式神名帳】賀美石神社 陸奥国 賀美郡鎮座


   【現社名】飯豊神社
   【住所】宮城県加美郡加美町麓山30
       北緯38度34分4秒、東経140度46分50秒
   【祭神】保食神 大山祇神 天照大神 八重事代主神
       『神社覈録』「飯豊姫命」

   【例祭】
   【社格】旧郷社
   【由緒】慶雲2年(705)巨勢麿の代豊宇気比売命を奉祀
       和銅2年(709)巨勢麿再び征東將軍と祭事を行う
       天平9年(737)大野東人社殿造営
       正安2年(1300)宮殿再建
       慶長2年(1597)3月別當大宮寺出火焼失
       明治5年4月郷社
       明治40年供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】大石
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿

   【境内社】
   【旧別当】大宮寺

初めは社殿はなく大石を御神体として祀つた。從つて別称を「石神」といった。
境内右手には、中央で割れた石が祀られており、安産の神「夫婦(めおと)大石」と称されている。
式内社・賀美石神社に比定する説もある。


飯豊神社

42代文武天皇大宝3年(703、飛鳥)巨勢麻呂当国に下り、同帝の慶雲2年(709飛鳥)保食神を奉斎したことに創るといわれ、43代元明天皇和銅2年(709、飛鳥)3月に至り巨勢麻呂は陸奥鎮東将軍に任ぜられたが此時神事を盛に行われた。聖武天皇の御宇按察使兼鎮守府将軍大野東人天平9年(737、奈良)当郡より出羽国最上郡玉野に至る道路を開鑿したが此時社殿を建立したという。延喜の制に小社に班す。社頭に巨石あり(長5尺、厚4尺、伝えて本社の奥院といい、右大弁巨勢麻呂石神として鎮祭とするところをいう。)因って本社を世人石神社と称す。後伏見天皇の御宇小野田朝日館主従五位下内海左京太夫社殿を再建して崇敬した。明治5年郷社に列せられ、同40年供進神社の指定を受け、同42年には鳴雷神社をはじめ八王子の諸神社を合併奉斎している。当社は主として五穀豊饒を祈るが、神饌には鳥類、卵は一切用いない慣しがある。

宮城県神社庁



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