鹿島天足別神社
かしまあまたるわけじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鹿島天足別神社 陸奥国 黒川郡鎮座
   【延喜式神名帳】石神山精神社 陸奥国 黒川郡鎮座


   【現社名】鹿島天足別神社
   【住所】宮城県富谷市大亀字和合田2-16
       北緯38度22分3秒、東経140度55分38秒
   【祭神】経津主命 武甕槌命
       (合祀)天照皇大神 大山祇神 熊野夫須美神 大己貴命 少名彦命
       『封内風土記』石裂神
       『神祇志料』「天足別神を祭る。鹿島大神苗裔の神也。」

   【例祭】4月15日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】創祀年代鎭座の由来不詳
       康和5年(1103)6月神事を穢せるにより中祓
       南北朝時代には国司北畠顯家本社を崇敬
       室町時代に社殿再興
       明治5年1月村社
       明治37年旧社殿が焼失
       明治38年5月再建
       明治42年吹上社を合祀
       平成23年3月11日東日本大震災で石鳥居が損壊し本殿の土台が崩れ、御神石の亀石も斜めに傾いた

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】社殿右脇には「亀石」と称する巨岩がある
   【祭祀】江戸時代は「大亀大明神」「岩下明神」と称していた
   【社殿】本殿流造銅板葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】

大亀山(110m)の山頂に鎮座する。
社殿右脇には「亀石」と称する巨岩があり、本来はこの巨岩信仰に由来する神社であると考えられる。
亀石と呼ばれる巨大な石は、境内にあって、その折り重なっている形が大ガメの姿に似ていることからこの名称がつけられた。  縦横ともに3.8m、高さが1.9mの奇岩で、地名もこの石にちなんでつけられた。
明治42年に同じ敷地内に鎭座していた吹上社を合祀したが、この吹上社が延喜式の「鹿島天足別神社」であり、当社は延喜式「石神山精神社」であるとする説がある。


鹿島天足別神社

この神社は延喜式内社で、陸奥国百座の内の一社で、常陸国の鹿島の神、武甕槌命、下総の国の香取の神、経津主命を祀っている。
 この二柱の神は武勇をもって知られ、蝦夷征伐に出兵した人々の武運長久や旅の安全、さらに東国からきた兵士や、農民の守護神として、尊敬を集め祀られた神社で、勧請年月日は不明である。
 この神社の傍らに亀の形に似た大石があり、里人は大亀と呼び大明神の地にあるので、神社名(大亀明神)となり、さらに村名(大亀)となったといわれる。

社頭掲示板



鹿島天足別神社

神社には氏子によって伝えられている神楽がある。この神楽は岩切(青麻)に伝わる神楽を弘化5年(1848)に移入したもので、言葉や歌詞を用いず、大太鼓、小太鼓、笛の調べにあわせて表現する優雅なもので、昭和38年8月1日、町の無形民俗文化財に指定された。
樫の木
この樫の木は高さ約15m、根廻り約4mあり、樹齢は800年余りと推定される。
当地方にはまれにみる古木で、昭和38年8月1日、町の天然記念物として指定された。
平成8年3月 富谷町

社頭掲示板



鹿島天足別神社

抑々当社は延喜式内奥州百座の大社にして宗源は古老の説に岩下明神と伝えられ香取明神、石裂の神の孫、経津主神香取明神、並武甕槌神鹿島明神を以て祭神とする。
文和年中国司北畠顕家中納言後醍醐天皇を奉じ奥州に来る折り、報恩寺左近入道高遠越前府の戦に戦勝祈願、戦勝を得帰国後当社を再興
又文亀3年(1480)丹後遠江守正時奉造立。黒川安房守氏友代々敬神の念厚く且つ保護を得。黒川南迫士郷の鎮護として祭展施行され興栄幾多星霜を経、元治元年(1864)5月23日郡民同社で雨乞24日大雨、御礼本殿屋根替、拝殿新築、38再建今日に至る。
社殿裏坂に伊手の玉水と称する池あり又この池を「はもしま」とも称す。
はもしまや いでの玉水手にむすび
  子をいのるこそくれしかりけり
    鶴巣城主 黒川元時
里中になくなる家鶏のこゑたちて
  いたくはなかぬくれいまかも
    長徳元年(933)
富谷町文化財指定
同社伝承の榊流永代神楽
同社前の樫の古木

社頭掲示板



鹿嶋天足別神社

寛永2年(西暦1625年、江戸時代)8月吉川従長の撰にかかる「縁起」によれば、後光厳院文和年中(北朝、1352〜1355年)国司北畠顕家は報恩寺高達を従え越前の国府に戦い戦功の報賽に社殿を再建した。棟札に「亀岡山明神、文亀3年(1503年、室町時代)9月15日奉造立丹波遠近守正時」とある。又、黒川氏友、安房守氏時北方などの崇敬あり。古く大亀大明神、岩下明神と称したが、明治のはじめ今の社号に改め、同5年1月村社に列し、同40年3月幣帛供進社に指定された。同42年に7社を合わせ祀る。また、当社は永代神楽があり、弘化5年(西暦1848年)より始めて今日に至っている。当社には、大干ばつの際に黒川郡内こぞっての雨乞いを行っている。その記録によると、寛永6年(西暦1853年)7月9日より三日三夜大肝入遠藤周右衛門はじめ郡内一同参詣し、13日には降雨があったため御礼として本社屋根の葺き替えを奉仕した。さらに元治元年(西暦1864年)5月23日、大肝入遠藤周右衛門はじめ組頭、大亀村肝入小嶋庄衛門、同村組頭佐藤長五郎他か各村より参詣。24日に降雨があり、その御礼として拝殿を建立した。別当 名取郡高柳 植村右近 慶応元年5月5日棟上 宮城郡国分福岡 大工 徳三郎。現在の社殿は、明治37年(西暦1904年)10月5日、灯明から出火して全焼したため、明治38年(西暦1905年)5月27日に新築したものである。

宮城県神社庁



鹿島天足別神社

大亀大明神、大亀神社、岩下明神などの別名でも知られる鹿島天足別神社は「延喜式」に記載され、格式の高い「延喜式内社」とされた歴史を持つ神社です。延喜式の巻九・十「延喜式神名帳」が延喜5年(905年)から延長5年(927年)の間に編さんされているため、西暦800年代にはこの地に鎮座していたと推定されます。大亀山の山頂にあり、はるか昔から人々の愛郷心の象徴とされてきた神社で、現在でも毎年4月に行われる例大祭は富谷の春の風物詩となっています。境内には亀石やアカガシなど見所が豊富。また、坂上田村麻呂が多賀城から利府経由で黒川郡に進出する際、武運を祈って建立したというエピソードがあるので、表坂の石段に残る馬蹄形のくぼみは田村麻呂が参拝した時の蹄の跡だという説も伝えられています。
◆榊流永代神楽
榊流永代神楽は、言葉や歌詞を用いずに、すべてを動作だけで表現する優雅な舞いが特徴の伝統芸能で、町の無形民俗文化財に指定されています。もとは旧岩切村(現在の仙台市宮城野区)の青麻神社で奉納されていた榊流青麻神楽を移入したもので、弘化5年(1848年)より大亀地区に伝わり、鹿島天足別神社で奉納されるようになったといわれます。以来、150年以上に渡って受け継がれ、現在でも毎年4月の第3日曜日に行われる鹿島天足別神社の例大祭で鑑賞することができます。衣冠装束に面を付け、大太鼓・小太鼓・七孔の笛のみというシンプルな奏楽で、古事記などの神話を題材にした御子舞・剣舞・種蒔舞・龍宮舞など、多彩な座(演目)が披露されます。
◆鹿島天足別神社のアカガシ
鹿島天足別神社の境内にあるアカガシは、高さ約20m、幹周約5.8mの堂々とした巨木。樹齢は500〜600年と推定され、アカガシとしては当地方ではまれにみる古木です。神社の御神木として昔から地域の人々の心の支えとして、大切にされてきました。昭和38年(1963年)には町指定の天然記念物となり、その後、平成18年(2006年)4月28日には県指定の天然記念物となりました。後世へ伝えていけるよう保護・保存に一層力を入れて取り組んでいます。
◆亀石
その名の通り大きな亀のような形をしている亀石は、縦横ともに3.8m、1.9mという巨大な岩です。鹿島天足別神社の境内(社殿東側)にあり、神社の別名「大亀神社」や地名の「大亀」は、この岩に由来すると言われます。付近には他にも布引石、塁石、口石、箪笥石、たいまい石など奇岩が多く散在し、亀石はその代表的な存在として知られています。平成24年(2012年)に、町の史跡に指定されました。

富谷市HP



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