麓部落西側の七ツ森の一つ遂倉山(標高308m)の山陵が吉田川に張り出した小山の中腹にある。神殿は、高さ十余丈と言われる屏風岩の下に建ち、境内には田村麿御手植の杉と称される大杉がある。 本社が往古は「此地を去ること数町なる石神澤」に鎮座していたとの伝承あるが、この石神澤がどこかは不明である。更に、遂倉山が本社の奥宮であるとの伝えがあるという。 本殿脇は切り立った白い崖。これを祀ったものか? |
由緒 配神・大国主神・事代主神・保食神・奥津彦神・奥津姫神。 当社の創建は不詳であるが、その歴史は古い。続日本紀第50代桓武天皇延暦9年11月丁亥陸奥国黒川郡石神山精社官社に進めたと記され、神徳の高く大和朝廷の信厚く、降って文徳実録に仁寿2年8月辛酉神階従五位下を授かる。続く第60代醍醐天皇5年丁亥に成る延喜式神名帳に、陸奥国一百座黒川郡四座の一に見られる社である。県内における唯一官社に列したことを記録から確認される神社であり、各時代の地頭の尊崇が厚く、社名の示すごとく巨大な岩石に神霊の存在を認め祀った古代祭祀、信仰の姿を伝えている。社殿前の古杉は鎮守府将軍坂上田村麻呂の御手植の杉と伝えられ、囲7m余り、御神木として信仰されている。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
石神山精神社 当社の歴史は古く続日本書紀によれば桓武天皇の延暦9年11月丁亥(790)に陸奥国黒川郡石神山精神社を官社の進められ当時すでに大和朝廷の信仰厚く奉幣が行われた。また文徳天皇の仁壽2年8月辛酉(852)神階従五位下を授けられ続く延長5年丁亥(927)になる醍醐天皇延喜式には陸奥国一座黒川郡四座の一に列せられた名社である。社名の示すとおり巨大岩石に神霊の存在を認めて祀った古い信仰の姿を伝えた神社で祭神は大山祗神・大歳神・大国主神・事代主神・保食神・釜神を祀る。社殿前に坂上田村麻呂将軍の御手植えの杉と古老の口碑に伝う。周囲7m、千余年の老杉あり。 社頭掲示板 |
石神山精神社 当神社の創草については詳でないが続日本記に桓武天皇の延暦9年11丁亥25日(790、奈良)に官社に進められた。又仁明天皇の嘉祥3年12月(850、平安)即位の恩典により昇叙の事あり、続日本記、続いて醍醐天皇の「延喜式神名帳」に陸奥國黒川郡四座の一に登載された。社名の示す如く社の傍に高十余丈の巨石の基に神社が祀られ古代の信仰の姿を示している。又、本殿の前には坂上田村麿将軍が蝦夷平定の奉賽に植えたと伝へる囲5米余の老杉が空をついている。江戸期岩上大明神と称されていたが明治5年1月村社に列すと、旧来の石神山精神社と名称を改めた。明治42年5月27日高田村字要害の運難神社、吉田村字山神に鎮座山神社の両社を合祀する。 宮城県神社庁 |