道路沿いの小祠。「延喜式内社の神社跡」の碑がある。 附近の畑や竹林に礎石が残つている。 拝殿正面には、沢山の小型の「タガ」がぶら下げられている、この社は長寿の神、夫婦の仲を「タガ」でがっちり固める夫婦和合の神としての信仰があり、桶などに使う「タガ」が地名の「多賀」へ変化したと伝。 |
多賀神社 多賀城六月坂地区の役所跡 ここは、政庁から北へ約300mの位置にあり、行政的な仕事を行っていた場所と考えられています。 平安時代の当初には、東西に桁行七間×梁間四間の四面廂付建物が二棟並び、その前面に数棟の堀田立柱建物が建っていました。 その後、これらの建物を取りこわし、堀立柱建物や、礎石を使用した倉庫が建てられました。 この地、鍛冶工房と推定される竪穴住居跡が見つかっています。 このような建物群の北には東門と西門を結ぶ道路が通っており、道路の北側にも建物群や竪穴住居がありました。 社頭掲示板 |
特別史跡多賀城跡 多賀城は、古代に陸奥国、現在の福島・宮城・岩手三県の国庁か置かれたところで、奈良時代には鎮守府も所在していた。その遺跡は約900m四方の不整方形の地で発掘調査により、築地塀で周囲を区画し、中央部の約100m四方の地に政庁がある他、官舎や兵舎が立ち並んでいたことが判明した。 昭和41年4月1日 特別史跡指定 社頭掲示板 |
多賀城内 中央北部の建物群 昭和47・48年の発掘調査の結果、行政実務を行う掘立柱建物群とともに礎石の倉庫群が発見された。 これらはいずれも平安時代(およそ1200年前)につくられたもので、平安初期には東西に並んだ桁行七間×梁間四間の四面庇付建物2棟を中心にその両前面に数棟の掘立建物を配置している。 平安中期になるとこれらの建物を取り壊し、掘立建物と礎石を使用した倉庫が建てられる。この外鍛冶工房と推定される竪穴住居跡が見つかっている。 このような官衛建物群の北には東門と西門を結ぶ道路がつくられており、道路の北側にも建物群や竪穴住居跡が存在していた。 社頭掲示板 |