浮島神社
うきしまじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】多賀神社 陸奥国 宮城郡鎮座

   【現社名】浮島神社
   【住所】宮城県多賀城市浮島赤坂1-1
       北緯38度18分14秒、東経140度59分40秒
   【祭神】奧塩老翁神 奧塩老女神 (配祀)源融
   【例祭】4月中旬日曜日 春季例祭
   【社格】
   【由緒】延久6年(1075)6月記載あり
       承保3年(1077)陸奥守橘島伸参詣

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

『新古今集』山口女王が大伴家持へつかわした歌に、
しほかまのまへにうきたる浮島の
   浮きて思ひのある世なりけり


浮嶋神社

浮嶋神社は正確な創建時期は、不明であるが 神亀元年(皇紀1384年・西暦724年)の多賀城創建の頃より鎮座し 多賀城に陸奥国府が置かれていた頃は栄えていたと伝えられ 鎮座する此の地は古来歌枕に詠まれた浮島に比定される地である
古くは平安時代の朝野群載(ちょうやぐんさい)に鹽竈神社及び鳥海神社と共に御卜(みうら)に預かったと記録にあり 江戸時代の安永風土記では多賀明神 塩松勝譜(えんしょうしょうふ)では多賀府社という名で記されている
明治維新後の近代社格制度に基づき 明治4年(皇紀2531年・西暦1871年)7月 浮島村の総鎮守として村社に列格される
その後明治41年(皇紀2568年・西暦1908年)には浮島字高平現城南一丁目に鎮座していた大臣宮神社(おおどのみやじんじゃ)を境内に遷座し その御祭神である源融卿を合祀した
明治時代末期 政府による神社合祀令で存続が危ぶまれたが 氏子崇敬者の運動もあり 古来より由緒ある神社ということで合祀を免れた 
村社列格以来 歴代の氏子崇敬者によって境内の整備が進められ 現在も鎮守神として 境内社と共に崇敬を集めている
明治天皇御製
 旅衣 あさたつ袖をふきかへす 松風すゞし 浮島が原

社頭掲示板



浮島神社

創祀年月不明、謹みて按ずるに当社は式外の社ではあるが、多賀城の在った頃は栄え給うた社である。即ち延暦中(782〜806)陸奥按察使大伴家持に遣わした山口女王の歌に「しほかまの前に浮きたる浮島のうきて思ひのある世なりけり」(新古今集恋五)とあり、夙く歌人の間に歌の名所として知られ、且、白河天皇延久6年(1074)6月、浮島、鹽竈、鳥海三社御卜に預かり給うたことが朝野群載に見えている。明治4年7月村社列格。後に大臣宮を合祀。

宮城県神社庁



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