『新古今集』山口女王が大伴家持へつかわした歌に、 しほかまのまへにうきたる浮島の 浮きて思ひのある世なりけり |
浮嶋神社 浮嶋神社は正確な創建時期は、不明であるが 神亀元年(皇紀1384年・西暦724年)の多賀城創建の頃より鎮座し 多賀城に陸奥国府が置かれていた頃は栄えていたと伝えられ 鎮座する此の地は古来歌枕に詠まれた浮島に比定される地である 古くは平安時代の朝野群載(ちょうやぐんさい)に鹽竈神社及び鳥海神社と共に御卜(みうら)に預かったと記録にあり 江戸時代の安永風土記では多賀明神 塩松勝譜(えんしょうしょうふ)では多賀府社という名で記されている 明治維新後の近代社格制度に基づき 明治4年(皇紀2531年・西暦1871年)7月 浮島村の総鎮守として村社に列格される その後明治41年(皇紀2568年・西暦1908年)には浮島字高平現城南一丁目に鎮座していた大臣宮神社(おおどのみやじんじゃ)を境内に遷座し その御祭神である源融卿を合祀した 明治時代末期 政府による神社合祀令で存続が危ぶまれたが 氏子崇敬者の運動もあり 古来より由緒ある神社ということで合祀を免れた 村社列格以来 歴代の氏子崇敬者によって境内の整備が進められ 現在も鎮守神として 境内社と共に崇敬を集めている 明治天皇御製 旅衣 あさたつ袖をふきかへす 松風すゞし 浮島が原 社頭掲示板 |
浮島神社 創祀年月不明、謹みて按ずるに当社は式外の社ではあるが、多賀城の在った頃は栄え給うた社である。即ち延暦中(782〜806)陸奥按察使大伴家持に遣わした山口女王の歌に「しほかまの前に浮きたる浮島のうきて思ひのある世なりけり」(新古今集恋五)とあり、夙く歌人の間に歌の名所として知られ、且、白河天皇延久6年(1074)6月、浮島、鹽竈、鳥海三社御卜に預かり給うたことが朝野群載に見えている。明治4年7月村社列格。後に大臣宮を合祀。 宮城県神社庁 |