佐具叡神社(佐倍乃神社境内社)
さぐえのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】佐具叡神社 陸奥国 名取郡鎮座
          (旧地)佐具叡神社【旧地】

   【現社名】佐具叡神社(佐倍乃神社境内社)
   【住所】宮城県名取市愛島笠島字西台1-4
       北緯38度9分44秒、東経140度50分48秒
   【祭神】高皇産靈神
   【例祭】不詳 佐倍乃神社は4月20日 例大祭
   【社格】
   【由緒】孝徳天皇2年圭田を奉る
       慶長7年に野火にかかり宮社焼亡
       元禄2年民家に小祀を発見佐具叡神社とする
       明治41年佐倍乃神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】合祀前は実方の墓の北側丘陵にあったという
        明治41年佐倍乃神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

境内左手に小祠あり。
合祀前は実方の墓の北側丘陵にあったという。


佐倍乃神社由緒

佐倍乃神社は、元禄2年俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」行脚の時、「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社で、旧社号を「笠島道祖神社」と称した。
祭神は猿田彦大神と天鈿女命で、景行天皇40年の日本武尊御東征の時から、毎年4月20日を祭日としている。
慶長7年野火に遇い、社殿及び古来の宝物・文書等一切消失したが、後柏原天皇の時、大永2年10月本殿造営された。文禄元年2月伊達政宗公社殿の修繕、又元禄13年10月綱村公拝殿を建立し、祭田二貫文を寄進する等歴代の藩主厚く尊崇された。祭神の猿田彦大神は、天孫降臨の際、道をお開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の神である天鈿女命と共に人間生活の道を守ことから縁結び・夫婦和合の神と祀られており、例祭日には宮城県無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




佐倍乃神社(笠島道祖神社)由緒

佐倍乃神社は、元禄2年5月俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」行脚の時に「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社で、旧社号を笠島道祖神社と称しました。
 祭神は猿田彦大神と天鈿女命で、景行天皇40年の日本武尊御東征の時から毎年4月20日を祭日としています。
 慶長7年野火に遇い、社殿及び古来の宝物、文書等一切焼失しましたが、後柏原天皇の時大永2年10月23日本殿造営されました。文禄元年2月15日伊達政宗公社殿の修繕、又元禄13年10月19日綱村公拝殿を修造し祭田二貫文を寄進する等歴代の藩主公厚く尊崇されました。
 祭神の猿田彦大神は、天孫降臨の際道をお開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の神である天鈿女命と共に人間生活の道を守るところから縁結び、夫婦和合の神と祀られており、例祭日には宮城県無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納されます。  尚平安朝時代の長徳4年陸奥守に任ぜられた藤原実方中将朝臣が、赴任途中当社の前を通過した途端落馬し、一命を落した事は歴史的に有名であり、その墳墓は当社より北方約700m塩手字北野にあります。

社頭石碑



笠島道祖神社由緒

笠島道祖神社は、元録2年5月俳聖芭蕉の「奥の細道」行脚の時、「笠島はいずこ五月のぬかり道」と、よんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社であります。
祭神は猿田彦大神と、天細女命です。道祖神社は佐倍乃神社とも称します。
当社は景行天皇40年(西紀110年)日本武尊御東征の時から毎年4月20日祭日としております。
慶長7年(1602年)野火に遇い、古来の宝物・文書等一切焼失しましたが、後柏原天皇の時天永2年10月23日本殿造営され、文録元年2月15目伊達政宗公社殿の御修繕されました。又元録13年10月19日綱村公拝殿を御修造し、祭田二十石寄附し暦代藩主公厚く尊宗した神社であります。
そもそも猿田彦大神を道祖神と申し上げるのは、天孫降臨の際この神が道をお開きご案内したのから始まり、道路の神人間生活の道を守るところから、道は尽きることなく生々息まざる意味から緑結び・夫婦和合・商売繁昌・交通安全・家運繁営・五穀豊穰等でありまして幸の神とも申されております。
平安朝時代の長徳4年(998年)陸奥守に任せられた藤原実方中将朝臣が、赴圧途中当杜の前を通過した途端落馬し11月12目死去した事は歴史に有名であります。この墳墓は、当社より北方約700mの塩手北野にあります。 当神社の側を平安朝以来東街道が通っています。
また東北本線名坂駅西方四粁、駅前よりククシー7分、仙台駅前よか仙台市営バスで愛島行終点より北方徒歩15分、また成人病セソター行終点より西方徒歩15分であります。

由緒書



笠島道祖神社

道祖神のことを「さえのかみ」とも呼び、江戸時代までは道祖神社と称されていましたが、明治7年(1874)に古称の「佐倍乃神社」に改称され、明治41年には、延喜式内社の一つである「佐具叡神社」も合祀されています。祭神は猿田彦神、天鈿女命を祀り、社伝によれば、慶長7年(1602)に野火で宮社と古文書が焼失したため、神社の詳細は不明となっています。現在の拝殿は、元禄13年(1700)伊達綱村が建立したとされ、本殿は、棟札に寛政3年(1791)修造とあり、八代斉村の寄進により建てられたことが分かっています。また、神社には、文政2年(1819)に、当時の神主が常陸国鹿島神社より伝授されたという、県指定無形民俗文化財の道祖神神楽が伝わっています。なお、この神社の約800m北側には、神社はもとより西行や芭蕉にも縁が深い「中将藤原実方朝臣の墓」が所在しています。

社頭掲示板



佐倍乃神社

佐倍乃神社は、元禄2年俳聖松尾芭蕉の「奥の細道」行脚の時、「笠島はいずこ五月のぬかり道」とよんだ句にある名取市愛島笠島に鎮座している神社で「笠島道祖神社」と称しました。祭神は猿田彦神と天鈿女命で、例祭は4月20日としております。本社の創建については、一に景行天皇の御宇日本武尊東征の際といい、或は垂仁天皇の御宇八津峯に鎮座あり、雄略帝の御宇宮社を造営するともいわれる。室町時代大永2年(1522年)10月23日本殿造営され、桃山時代文禄元年(1592年)2月15日伊達政宗公社殿の御修繕をされました。慶長7年(1602年)の野火に罹り、社殿及び頼朝以来の古文書什物等悉く焼亡した。江戸時代の元禄13年(1701年)伊達綱村公拝殿を御修造し、祭田2貫文を寄進、享保17年(1733年)7月正一位の神階を授けられた(宗源宣旨)等々のことがあり、歴代の藩主領主等厚く尊宗した神社であります。明治の初め道祖神社の社号を現社号の村社佐倍乃神社に改めた。明治41年11月郷社列格、同43年3月供進社に指定された。これより先佐具叡神社外10社を合祀した。祭神の猿田彦神は、天孫降臨の際道を開きご案内した事から道の神と、又御夫婦の神である天鈿女命と共に人間生活の道を守るところから縁結び、夫婦和合の神と祀られております。例祭日には宮城県指定無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納されます。尚平安朝時代の長徳4年(998年)左近衛中将藤原実方朝臣馬上にて社前を過ぎたところ、この神はその非礼を咎め為に、実方は馬と共に斃れ死んだと伝えられており、その墳墓は当社より北方700米の塩手字北野にあります。

宮城県神社庁



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