苅田嶺神社(奥宮)
かったみねじんじゃ 所在地 社名

















   【延喜式神名帳】苅田嶺神社(名神大) 陸奥国 苅田郡鎮座
          (里宮)苅田嶺神社(里宮)

   【現社名】苅田嶺神社(奥宮)
   【住所】宮城県刈田郡蔵王町蔵王山 苅田嶺山頂
       北緯38度7分40秒、東経140度26分53秒
   【祭神】天之水分・国之水分・蔵王大権現
   【例祭】10月8日 秋季大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】白鳳8年(680)願行藏王権現を不忘山頂に勧請
       平安末には陸奥の豪族安倍氏の崇敬厚く社殿造営
       戦国時代最上氏尊崇神田寄進
       明治5年社名を藏王権現から水分神社に改める
       同8年現社名に改称郷社
       同40年3月神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】本社はもと熊野嶽(標高1840m)に鎭座していたと伝える
        宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉仲町1に里宮がある

   【祭祀対象】鎮座する山
   【祭祀】江戸時代は「藏王権現」と称していた
   【参考HP】 苅田嶺神社
   【社殿】本殿コンクリート製銅板葺
       

   【境内社】
   【別当】金峯山藏王寺

白鳳8年(680)役小角の叔父願行、大和國吉野の金峰山藏王権現を不忘山頂に勧請
本社はもと熊野嶽(標高1840m)に鎭座していたと伝える。
山麓の遠刈田温泉に御旅舎(里宮とも称す、刈田郡藏王町遠刈田温泉字遠刈田二番地)があり、冬期間はこの里宮に遷座する。
4月29日と9月最終日曜日に御神体奉遷祭が行われ神霊が奥宮と里宮に遷座する。


苅田嶺神社

開山せしは何時頃なりしか不明なれど、人皇2代緩靖天皇を奉祀せしこと地方伝説等に徴しても明なり。その後文武天皇の御宇仏教の余波として彼の修験道なるもの現れ、其の一人として有名なる役の小角天武天皇の白鳳8年大和国吉野山に鎮座せる蔵王権現即ち天之水分、国之水分二柱の御神霊を不忘山に奉還し山名をも蔵王山と改むるに至れり。この時代は仏教の最も盛んなる時にして畏くも天皇御自身三宝の奴と称し行基出でて神仏習合説を唱い空海、伝教の二僧出づるに及び本地垂跡説を説きし頃なりしかば何時しか神社名も忘れ蔵王大権現と称するに至れり。平安朝の末前九年頃は阿部氏当社を己が氏神とし神殿をも改築せしことあり。降って戦国時代に至りては当地方は出羽領に属し尊崇最も厚く水下50町歩を神田に寄進し家臣甘糟氏をして守護せしめたり。その後伊達氏代わりて陸奥に覇を握るや又己が守護神として家臣片倉小十郎をして守護せしめ伊勢神宮の例に倣い21年毎に御改築の例を開き、金華山を鬼門除け、当社を病門除けとして共に青葉城を守らしめたり。
 降って明治5年4月太政官布達により神仏混交相成らざる旨布達せられてより水分神社と称せしが同8年に至り旧神社名を襲いて刈田嶺神社と改名し郷社に列せられて今日に及べり
(伝 説)
 太古或る高貴なる神に二人の姫神ありき。共に月山に祀られんとせしに父神曰く、「二人とも蓮の花を作らしめ其の見事なる蓮花を持ち来りしものを月山に遣わし、其の撰に洩れたるものを蔵王山に祀るべし」と告げしに二神共力を尽くして作り合い、二花を比較せしに姉神の花や優りけん。妹神密かに姉神の花を父に献せしたため、妹神遂に月山に祀られ姉神はやむなく当蔵王山に祀られたり。故に今日に至りても「月山は一度盗みても参詣せよ。刈田山は盗心ある者は参詣すべからず」と伝え居れり  而して月山を御西 当刈田山を御東と今以て呼べり

http://www.mni.ne.jp/~hichiya/miyagiken/zaousatonomiya.htm



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