初期の鎭座地は不詳である。 文徳帝の斉衡2年(855)官社に列し延喜式神名帳(927年)に載る白川郷七社の一つである。 |
永倉神社 史跡 永倉神社 永倉神社は、文徳帝の斉衡2年(855年)官社に列し延喜式神名帳(927年)に載る白川郷七社の一つである。 今より1120年前といえば世は平安初期で、唐文化が着々国風に定着しようとしていたとはいえ、地方への浸透は遅れがちであった。 そのころ、都を遠く離れた当長坂にこのような社格の神社が祀られているという歴史の古さと共に誇らしさを感ずるものである。 長坂はもと永倉であり永倉は、長畔の転化ともいわれるから農耕集落の発達が早かったのであろう。 明治2年(1896年)山火事の類焼にあい、社殿及び宝物什器等消失し、往時の風格は失われたが、その由緒により当時の歴史を偲ぶことができる。 本村最古の神社である。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
延喜式内永倉神社本殿及び拝殿 西郷村指定重要文化財(西郷村指定第9号) 永倉神社は文徳天皇の斉衡2年(855)年官社(国が選んだ神社)に列し、『延喜式 巻第十』(『神名帳』ともいわれ、延長5年(927)に成立、当時の官社の一覧表)に載る白川郡七社の一つです。 勧請の年は天保8年(1837)4月の火災によって古書焼失し定かではありません。 松平定信が編纂させた『白河風土記』には「永倉神社はその土地の神であるが誤り伝えて神明宮とされ、地名も永倉→長倉→長坂と誤り後世に伝えられた。」と書かれています。 明治2年(1869)山火事の類焼にあい、社殿及び宝物什器等焼失し、往時の風格は失われましたが、その由緒や社殿周囲の景観から当時の歴史を偲ぶことができます。 西郷村HP |