八溝嶺神社
やみぞみねじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】八溝嶺神社 陸奥国 白河郡鎮座

   【現社名】八溝嶺神社
   【住所】茨城県久慈郡大子町上野宮2129
       北緯36度55分48秒、東経140度16分23秒
   【祭神】大己貴命 事代主命
   【例祭】5月3日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】聖武天皇の頃伝教大師山王二荒両社を建立
       景行天皇40年日本武尊が八溝山に立てこもる賊を討ち創祀
       延暦16年(797)坂上田村麻呂が八溝山に布陣
       大同2年(807)弘法大師が神殿を修復
       承和3年(836)正月25日神封二戸
       仁寿2年(853)慈覚大師が山に登って社殿修復

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿神明造
       拝殿

   【境内社】大山祗神社・妙見神社・稲荷神社

福島・茨城・栃木3県境の八溝山頂に鎮座する。
八溝嶺神社は本来は農業神だが、山麓でとれた砂金を遣唐使を派遣する財源として供出したことから「黄金神」として知られ、広く信仰を集めた。


八溝嶺神社の梵天祭

ぼんでんは、木に金紙や銀紙を貼った長さ1.5m位の鉾を中心に、稲、干瓢(かんぴょう)、芋幹(いもがら)、餅、麻、布などで飾った御幣(ごへい)で、八溝嶺神社の例祭(旧4月17日、現在は5月3日)に奉納される祭りです。
若衆30人ほどでかつぎ、山麓から山頂まで登っていきます。朝、地区を出発し、途中このぼんでんをもみながら正午近く頂上に着きます。頂上に着くと神社の周りを3周し、拝殿前にぼんでんを納め、神官の祝詞(のりと)奏上ののち、お札が配られ、人々はぼんでんを置いて下山します。かつては、福島、栃木の各山麓の村々からもぼんでんが上がり、相当な賑わいであったといわれています。また、1年上げれば3年続けて上げる習わしであったといいますが、現在は上野宮の氏子たちが不定期で上げています。
多数の餅を付けて飾ったぼんでんは、稲の実りを表わしたものです。作神である八溝の神に稲の実りを模したぼんでんを奉納し、豊かな実りに祈りを捧げるのが、この祭りの本質でした。人々は、山上の神社にお参りし、分与されたお礼を持ち帰ります。そして、八溝の神の御守護による稲作の実りを祈って、各自の田畑にそのお礼を立てます。また、かつては秋にもこの祭りがあり、秋は収穫の感謝で、山上の神の御前で、来年の種子が分与されるという信仰でした。
ぼんでんの語源について、民俗学では、さおの先に藁や弊束などを結びつけた「ほて」から出たと考えられています。すなわち、大きな御弊のことで、神霊のよりましたまう標識でした。八溝のぼんでんは、作神を山から迎える古い信仰をよく伝えています。

大子町文化遺産



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