宝亀年間(770-80)この地に創祀。弘仁2年(811)坂上田村麻呂が常陸鹿島大明神を勧請。神体には、小田切、瀬上の二剣を奉じ師霊神剣を表す。 古来より歌枕にある転寝の森(うたたねのもり)は、当神社の飛地境内で、東へ300m程のところにある。 |
鹿島神社 宝亀年間(770〜780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。その後も歴代城主の尊崇あつく、城主自ら奉幣、参籠し、祭田や社殿の寄進もありました。 文明13年(1481年)時の城主小峯政朝が神社において1万句奉納の連歌会をおこないました。著名の連歌師宗祗が西国からはるばるこの地にやって来たのも、この会に出るためでした。このことは、当時の白河地方の文化が相当高い水準だったことを示しています。 文化3年(1783年)松平大和守により『鹿嶋大神宮』の額が、また大正14年(1925年)海軍元帥東郷平八郎により『鹿島宮』の額が奉納されています。この両額は今も神社の正面に掲げられています。寛政7年(1796年)松平定信公により『楯無しのよろい』(市文化財)も奉納されています。 明治43年(1910年)不幸にして火災にあい、建造物、備品のほとんどを焼失しましたが、大正元年(1912年)再建され、現在に至っています。また、古来より歌枕にある転寝の森(うたたねのもり)は、当神社の飛地境内で、東へ300メートル程のところにあります。 社頭掲示板 |
鹿島神社提灯祭り 明歴3年(1658)時の城主本多忠義が御輿(白河市文化財指定)を奉納し祭事の全般にわたってこまごまと制定したのにはじまり現在に及んでいる。また神楽十八座(白河市文化財指定)が奉納され毎年七月(旧暦)に祭礼が行なわれていたが命じ40年以来祭日を定めて9月13日から三日間となった。祭日には御輿の渡御があり各町毎に先達、高張、元方手提灯をそれぞれ数十箇の提灯を竿頭に灯しその総数正に数千延々として正に火龍の如き壮観を呈する。 また一方、各町内には軒毎に祭礼提灯を吊し、街路装飾等を行う外、競って山車、屋台を繰り廻しその賑わいは言語に絶する。 昭和63年 白河市教育委員会 社頭掲示板 |
ご由緒 〈御祭神〉 武甕槌命(たけみかづちのみこと) 〈御由緒〉 宝亀年間(770〜780年)光仁天皇の御代この地に祭られ、弘仁2年(811年)坂上田村麻呂が東夷征伐の際、改めて常陸国鹿島大明神を勧請した神社で、白河地方の総鎮守とし、武の神、白河以北を守る神として、戦勝を祈願したと言われています。延喜式神名帳(成立927年)にのこる式内社でもあります。その後も歴代城主の尊崇あつく、城主自ら奉幣、参籠し、祭田や社殿の寄進もありました。 文明13年(1481年)時の城主小峯政朝が神社において1万句奉納の連歌会をおこないました。著名の連歌師宗祗が西国からはるばるこの地にやって来たのも、この会に出るためでした。このことは、当時の白河地方の文化が相当高い水準だったことを示しています。 文化3年(1783年)松平大和守により『鹿嶋大神宮』の額が、また大正14年(1925年)海軍元帥東郷平八郎により『鹿島宮』の額が奉納されています。この両額は今も神社の正面に掲げられています。寛政7年(1796年)松平定信公により『楯無しのよろい』(市文化財)も奉納されています。 明治43年(1910年)不幸にして火災にあい、建造物、備品のほとんどを焼失しましたが、大正元年(1912年)再建され、現在に至っています。また、古来より歌枕にある転寝の森(うたたねのもり)は、当神社の飛地境内で、東へ300メートル程のところにあります。 公式HP |
鹿嶋神社神輿 白河市指定重要文化財(工芸品) 鹿嶋神社神輿 明暦3年(1657)に白河藩主本多忠義が寄進した神輿です。鹿嶋神社は白河城下の鎮守であり、隔年で行われる鹿嶋神社祭礼渡御祭(提灯祭り)では、この神輿が旧城下町の各町内を3日かんにわたり渡御します。 製作は京都の仏師法橋浄慶によるもので、神輿の構造は四角造り、上から屋根・胴・台輪の三部からなっています。全体が黒漆で塗られており、正面扉裏面にある銘には藩主本多忠義のほか、願人として城下の町人の名などが刻まれています。 平成19年(2007)の大がかりな修復では、「文政五壬午歳八月吉日」の墨書が発見され、江戸時代後期の文政5年(1822)にも修理が行われていたことが明らかになりました。 この神輿が奉納されたことで祭礼の方式が定められ、その方式が現在行われる提灯祭りまで伝えられているとされています。 社頭掲示板 |
鹿嶋神社神楽 白河市指定重要無形民俗文化財 鹿嶋神社神楽 神楽は古代より行われてきた神事芸能で、神慮を慰めるため神前で奏する舞楽です。大別して、朝廷で行われる「御神楽」と、民間で行われる「里神楽」があり、鹿嶋神社神楽は「里神楽」の中でも、出雲神楽の系統です。 鹿嶋神社神楽では、面を付けず舞う採物舞を「小神楽」、面を付ける神楽能を「太々神楽」といい、一般と区分が異なります。指定されているのは「太々神楽」ですが、近年は面を付けるのを省略することが多くなっています。 神楽の演目も十八座と多く残され、関東以北の出雲神楽の系統では珍しい、神歌が付くのも特徴です。また、「五神神楽」という演目も、県内では当社と棚倉町の八槻都々古別神社のみが伝えています。 記録では、宝暦3年(1753)に「太々神楽」が奉納され、その後、中断されましたが、寛政10年(1798)には再興しています。 演者は古くより近郷の神職や氏子が行い、現在は毎年1月3日の元始祭や、2月11日のだるま市、11月23日の新穀感謝祭など年4回奉納されています。 社頭掲示板 |