都都古別神社
つつこわけじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】都都古別神社(名神大) 陸奥国 白河郡鎮座

   【現社名】都都古別神社
   【住所】福島県東白川郡棚倉町棚倉馬場39
       北緯37度1分55秒、東経140度22分33秒
   【祭神】味耜高彦根命 (配祀)日本武尊
   【例祭】9月6日又は第2日曜日 例祭
   【社格】旧国幣中社 名神大 陸奥国一之宮
   【由緒】日本武尊立鉾山(現在西白河郡表郷村)に創祀
       大同2年坂上田村麿伊野荘(現棚倉城跡)に奉遷
       承和8年(841)正月従五位下
       康和5年(1103)6月10日記載『朝野群載』
       応永年間(1394-28)足利義満社殿造営
       天正年間(1573−92)白河城主関義親造営
       文禄年間(1592−96)佐竹義宣修復
       寛永元年(1624)丹羽長重棚倉築城に際し現在地に遷宮
       慶安元年(1648)徳川家光朱印
       明治6年国幣中社

   【関係氏族】
   【鎮座地】表郷三森が旧地であったとする

   【祭祀対象】都々古山
   【祭祀】江戸時代は「近津大明神」「馬場之宮」と称していた
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】甲山天満宮
   【旧別当】不動院

都々古山(西白河郡表郷村、健鉾山・立鉾山と呼ばれ神奈備型の404mの山。当社より北西5km、奥宮がある)に日本武尊が鉾を建てて祭られたのが創建であるという。(健鉾山祭祀遺跡として巨石等が残されており東北地方最大の祭祀遺跡とされている)
市街地の西端、小富士山(447m)の南東麓鎮座している。
都都古和気神社は、棚倉町に同じ名の神社が二社あり、どちらも明治時代に国幣中社となった。近世まではともに近津大明神または近津宮と称し、下流の茨城県大子町の近津神社とともに近津三社と総称されていた。三社は上流から上宮、中宮、下宮と呼び分けられていた。


由緒

延喜式神祇巻第十神名帳に、陸奥國白河郡名神大一座「都都古和氣神社」とある御社で、凡そ1900余年まえ人皇12代景行天皇御宇、日本武尊が東奥鎮撫の折、関東奥羽の味耜高彦根命を地主神として、都々古山(現在西白河郡表郷村。一名を建鉾山と称す。)に鉾を建て御親祭せられたのが創始であり、古代祭祀場たる磐境である事が立証されている。(大場磐雄・亀井正道両博士による。)
人皇51代平城天皇大同2年(807年)坂上田村麻呂は、伊野荘(現棚倉城趾)に奉遷、社殿奉造し日本武尊を相殿に配祀し奉る。寛永元年(1624年)丹羽五郎左衛門長重、幕命により棚倉築城に際し、現在の地(馬場)に景勝の替地を奉り、更に社領を添加し旧社殿を解体、移築の上同2年遷宮し奉る。
神位、神階等奉授については、仁明天皇・清和天皇・陽成天皇・御冷泉天皇等各御宇に行なわれている。造営、神領寄進等は、坂上田村麻呂・源頼義・源義家等をはじめ、足利義満・白河城主・豊臣秀吉等、作事奉行を定め奉造の事が伝えられ、現本殿は、文禄年間(1592〜95)秀吉の命により、佐竹義宣の奉造にかかるもので、桃山時代の手法がよく出ている。
中世、天災や兵火によって社殿焼亡又は大破した事もあるが、その時毎に、直ちに造営せられている。
当神社は、平安中期から久慈川、社川、阿武隈川流域の人々の絶大なる信仰の対象であった。北郷二十四ヶ村に亘った神領地も其の一証である。
徳川幕府は、代々先規により神領朱印状を奉っていた。
明治4年太政官達し、同6年3月7日、国幣中社に列格。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




都都古別神社

当都都古別神社は延喜式(延喜年間に書かれた書物)に登載されて居り陸奥国白河郷七座の唯一の名神大社であり、奥州一宮であります。
祭神味耜高彦根命は御父君大国主命の偉業を助けて東土の荒れ地を開拓し農業の道を教え民をますます蕃殖せしめました。民その恩恵を蒙りましたので命の徳を尊崇し農業の神として崇め奉祀したのであります。
日本武尊を配祀したのは日本武尊東夷討伐の時八溝山の盗賊を討って民が安んじて農業を営みさせた。その尊の徳により配祀したのであります。

社頭掲示板



文化財

重要文化財(国指定)
本殿(建造物)
桃山時代。平成26年12月10日指定
長覆輪太刀 中身無銘(工芸品)
白河集古苑に所在。鎌倉時代末期。全長118.1センチメートル。大正10年4月30日指定
長覆輪太刀 中身無銘(工芸品)
白河集古苑に所在。鎌倉時代。大正10年4月30日指定
赤絲威鎧残闕(附 二十五間四方白星兜鉢1頭)(工芸品)
白河集古苑に所在。鎌倉時代前期。奥州に残る甲冑では最古。昭和32年2月19日指定、昭和34年6月27日追加指定
福島県指定文化財
重要文化財(有形文化財)
馬場都々古別神社御正体 4面(工芸品) - 昭和57年3月30日指定
鉾型祭具 3本(工芸品) - 平成15年3月25日指定
馬場都々古別神社文書等 22点(古文書) - 平成17年4月15日指定


馬場都々古別神社

都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下宮近津神社)と総称された“上の宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊(ヤマトタケル)が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祭り、のちに大同2年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祭ります。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。
社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)などがあり、数多くの貴重な文化財が保管されています。

棚倉町観光協会



都々古別神社

延喜式に陸奥国白川郡名神大座都都古和氣神社とある御社で凡そ1850余年前景行天皇の御世日本武尊東奥鎮撫の折関東奥羽の味耜高彦根命を地主神として都々古山現西白川郡三森村の岩山に鉾を建て御親祭せられたのが創始である。
平城天皇大同2年坂上田村麿伊野庄現棚倉城跡奉遷社殿を奉造し日本武尊を相殿に配祇奉る。寛永元年丹羽五郎左衛長重幕命により棚倉築城に際し現馬場に景勝の替地を奉り社領を添加し社殿解体移築同二年遷宮し奉る。
明治6年3月7日国幣中社に列格神位神階奉授については仁明、清和、陽成、御冷泉皇等各御代に行われている。造営神領寄進等は坂上田村麿、源頼義、義家、足利義満、白河城主、豊臣秀吉等依事奉行を定め奉造され現本殿は文禄年秀吉の命により佐竹義宣の奉造である。
當社は平安中期より久慈川、社川、阿武隈川流域の絶大な信仰の対象であった。宝物は重要文化財長覆輪太刀、赤糸威鎧残欠、県指定御正体、鉾、古面、神像、什器、古文書等。

社頭掲示板



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