高城神社
たかぎじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高城神社 武蔵国 大里郡鎮座
   【延喜式神名帳】宮目神社 武蔵国 埼玉郡鎮座
          (旧地)高城神社(旧地)

   【現社名】高城神社
   【住所】埼玉県熊谷市高本 562
       北緯36度6分2秒,東経139度24分21秒
   【祭神】高皇産靈尊
   【例祭】4月10日 例祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は本村の北方
       その後現「保健センター」の近くに遷座
       昭和45年現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       拝殿

   【境内社】稲荷神社・瀧祭神社・八坂神社

大里中学校南に鎮座する。
旧社地は本村の北方であったが、村民居住の後の方に当るので、今の地(本村巽の方)に遷座すると云う。
また、安政2年(1855)神職、徳永某古鈴一個を境内より掘出した。青黒の銅にて古色を帯び、片面先邪志国、片面高城神社とあると云う。
「式内社調査報告」では所在地を「大里郡大里村高本」としており、地図に表示された場所は現在「保健センター」の近くであり、土手に石碑が建っている。昭和45年に河川改修のため現在地に遷座された。


高城神社

当社は、延喜式内の神社と伝えられている。
鎮座地に移動があり、『明細帳』は「旧社地ハ、村ノ北方ナリシガ 村民居住ノ後ノ方ニ当タルタメ現在地二鎮座スル」と記載している。また、昭和4年に、当時の村助役である田所泰造の記した『延喜式内高城神社誌』は「和田吉野川の流れに近い中街に古く鎮座していたが、流れが変わり当社は下流の中ノ森(高城街)に流された。
これを神慮であるとして以来この地に祀られる」としている。いずれにしても、この移転の時期は不明である。昭和45年に、中ノ森は河川改修地域となり移転を迫られた当社は、旧社地である中街の現在地へ再び遷座している。
明治初め、当村名主芳三郎が浦和県社寺改役に提出した「武蔵国大里郡高本村三社」に、相上村吉見大神の社家徳永豊州が文久3年(1863)に当時の旧社地に接して家を建てた時、地中から「无邪志国・高城神社」とある古代の銅製の鈴を見付けたことを書いている。
この鈴は社宝として現存し、式内社を証明する一つとされている。
先に述べた『延喜式内高城神社誌』は当社の奉仕者について、古代から高木氏が仕え、始めは神主、後に修験正覚院となる。高木氏は、徳治2年(1307)に幡羅郡長井太田に移り太田城主高木内蔵之助元信となる。下って元和4年(1618)に正覚院に大和国初瀬の小池坊から地蔵院を移し、明治初期まで当社の別当としたとある。

社頭掲示板



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