日本武尊東征の砌、当所の椋の大樹の下に大己貴命を奉齋して椋大神と称したという。 永禄12年(1569)に武田信玄によって焼き払われ、その後は衰退し、江戸期は秩父神社によって管理されていた。 毎年3月3日にはお田植え祭が行われる。この祭は、椋神社の境内を田んぼに見立てて、酒を飲んで赤ら顔になった氏子代表12人が神部となり、ユーモラスに田植え唄を歌いながら模擬的な農作業を行い今年の豊作を祝う祭である。 |
市指定民族資料 蒔田椋神社御田植神事 指定年月日 平成21年3月17日 保護団体 椋神社御田植祭保存会 上蒔田、椋神社に伝わる御田植祭は、春の農作業に先だち、3月第一日曜日(旧暦の頃は2月3日・平成25年までは3月3日)、その年の稲の豊作を祈願して、稲作りの仕事を模擬的に行う行事です。境内にしめ蝿を張りめぐらして御田代と呼ばれる神田に見立て、鳥居の外には、わらで龍をかたどった水口が設けられます。 毎年氏子の中から十二人が選ばれ、その中の二人が作家老となり行事の主役となります。十二人衆のいでたちは、烏帽子に白装束で、手には鍬を模した竹製の農具を持って演じます。 当日は、拝殿にて坪割り(四方固め)を行った後、続いて水乞いに丹生神社まで参り、水乞いが終わると水麻と呼ばれる御幣を先頭に帰ります。水口に張られた縄を切り、水麻が斎場の御田代に立てられると、田仕事が始まります。 田仕事は、苗代つくりから種まき、本田の耕起から代掻き、田植までの実際の農耕順序に従って演じられます。田の代掻きでは御神馬二頭が登場し、御田代を駆け回ります。「御代の永田に手に手をそろえていそげや早苗に手に手をそろえて」と田植唄をうたいながら演じる所作は、多くの古風な習俗を伝承しています。 平成26年3月 秩父市教育委員会 社頭掲示板 |