稲荷神社
いなりじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】今木青坂稲実荒御魂神社 武蔵国 賀美郡鎮座

   【現社名】稲荷神社
   【住所】埼玉県児玉郡上里町八町河原497
       北緯36度16分18秒,東経139度9分40秒
   【祭神】天照大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊 大物主命 倉稻魂命
       誉田別尊 罔象女神 菊理媛命 豊受姫命 加具土命 菅原道真

   【例祭】11月3日 秋季大祭
   【社格】旧無格社
   【由緒】宝徳年間(1449−52)創立と伝
       天文二年(1553)に再建
       安政6年(1856)8月大洪水で流失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「稲荷神社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】八坂神社

鳥川南岸に鎮座する。
「稲実」と「稲荷」の音が似ているために誤り伝えられたとされている。


稲荷神社

所在地 神里町八丁河原468
稲荷神社の祭神は、倉稲魂命、誉田別尊、罔象女神、菊理媛命、伊弉諾尊、伊座冉尊、天照大御神、豊受媛命、迦具土命、大物主命、菅原道真公である。
当社の創立は、宝徳年間(1449−52)といわれ、天文二年(1553)に再建され、元禄10年(1697)に正一位稲荷大明神の神階を授けられたと伝えられている。
その後、寛保二年(1742)2月7日、宮司関口和泉守が京都の卜部家より神道の裁許を賜ったという。また、安政6年(1856)8月大洪水で流失、同年11月に仮宮が建てられた。
明治40年2月13日、八幡神社(植竹)、水神社(水神前)、白山神社(前河原)及び境内の神明、愛宕、琴平、北野の各神社を合祀している。
本殿右の大欅の先には、寛永4年(1627)上州那波之郡、八町河原之持と刻まれた石祀があり、その他境内には、寛永4年建立の雷電神社や、江戸期に栄えた八丁河原の船運利用の水の神である大杉神社などが祀られている。
昭和61年3月
埼玉県
神里町

社頭掲示板



稲荷神社

稲倉魂命を祭神とする稲荷神社は、宝徳年中(1449?1452年「児玉郡誌」)もしくは天文年中(1532?1555年「郡村誌」)に創建されたと伝えられているんだ。もともとは今より北側の烏川のほとりにあったんだけど、安政6年(1859年)8月の洪水で流失してしまい、今の場所に移されたんだ。
 ここの夏祭り(7月15日)の天王祭では、担いでいる神輿を倒そうとして神輿の上に何人か乗って担ぎ手と争う「暴れ神輿」が出ることで有名だったんだけど、今は行っていないんだ。でも、神輿は今でも神輿庫にあって見ることができるよ。

広報かみさと 2013.3 10



稲荷神社

弟六十二回伊勢神宮式年遷宮記念
稲荷神社 御由緒
上里町八町河原2266
御祭神
・倉稲魂命 ・誉田別尊 ・罔象女神 ・菊理媛命
・伊弊諾尊 ・伊弊冉尊 ・天照大御神 ・豊受姫命
・迦具土命 ・大物主今 ・菅原道真公
御縁起(歴史)
当社は八町河原の小字の一つである本村の北端に鎮座する。創建年代は、「児玉郡誌」に宝徳年中(西1449-52〉、「郡村誌」に天文年中(西1532-55)、「風土記稿」には天正年間(西1573-92)とそれぞれ載せられており、遅くとも中世後期には勧請されたことをうかがわせる。鎮座地については、「郡村誌」に「往昔は鳥川の畔にあり、其後安政6己未年(西1859)8月中洪水に罹り社地崩壊せり、同年11月本村の中央に仮宮建立遷座す」と記されている。
本殿には、「稲荷大明神」「享保4己亥(西1719)霜月吉祥日京稲荷社愛染法院暁雄」}と墨書された神璽筥が奉安されており、京都の伏見稲荷神社から拝受したことが知られる。
明治40年2月13日、八幡神社(植竹)、水神社(水神前)、白山神社(前河原)及び境内の神明愛宕、琴平、北野の各神社を合祀している。
本殿右の大欅の元には、寛永4年(西1627)上州那波之郡、八町河原之持と刻まれた石祀があり、その他境内には寛永4年建立の雷電神社や江戸期に栄えた八丁河原の舟運利用の永の神である大杉神社などが祀られている。

社頭掲示板



今木青坂稻実荒御魂神社

今木は前に同し、青坂は阿哀佐加と訓べし、(疑ふらくは、前に同じく、青八坂なる八の字を脱せるか、)稻実は前に同じ、荒卿魂は阿良美多麻と訓べし、○祭神天児屋命、此淘蜷_、(地名記)七本木村に在す、(同上)例祭月日、

神社覈録



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