七本木小学校東に接して鎮座する。 江戸時代七本木村字本郷原に鎮座する榛名宮神社が比定された。 現在の鎮座地は旧家である金井家(当地を開発した家)が邸内社として祀っていた八幡神社を村の鎮守社とした。 明治42年に近隣社を合祀し七本木神社と称した。この時榛名宮神社も移転合祀された。 この榛名神社は今城青八坂稲実神社・今木青坂稲実荒御魂神社・今城青八坂稲実池上神社 三社の論社である。 |
七本木神社 当地は、旧家金井家が開発した土地であり、地名の由来は、村内に七本の古木があったことによる。『児玉郡誌』(昭和2年刊)には、久保田新田の旧八幡神社境内に、「八幡の大欅」と称される樹齢670年ほどの大木があり、地名の由来となった七本の内の一本であり、他の六本は枯れてしまったと記されている。 創建については、金井家の火災により古文書を失い不詳であるが、邸内社として祀っていた八幡神社が村の鎮守となったものである。 『明細帳』によると、明治42年に、榛名大神社・愛宕神社・白岩神社・稲荷神社二社・八幡神社二社を合祀して、社名を七本木神社と改めたものである。 埼玉の神社 |
七本木神社 御由緒 上里町七本木3237 御縁起(歴史) 当地は、旧家金井家が開発した土地であり、地名の由来は、村内に七本の古木があったことによる。『児玉郡誌』(昭和2年刊)には、久保田新田の旧八幡神社境内に、「八幡の大欅」と称される樹齢670年ほどの大木があり、地名の由来となった七本の内の一本であり、他の六本は枯れてしまったと記されている。 創建については、金井家の火災により古文書を失い不詳であるが、邸内社として祀っていた八幡神社が村の鎮守となりったものである。「明細帳」によると、明治42年に、榛名大神社・愛宕神社・白岩神社・稲荷神社二社・八幡神社二社を合祀して、社名を七本木神社と改めたものである。 現在、境内の一角に合祀となった七社の旧本殿が建物に納められており、いずれも古色蒼然とした立派な造りのものである。空宮となった中には、宝永5年(1708)銘の稲荷大明神棟札、元文5年(1740)銘の八幡宮棟札、寛政11年(1799)銘の正一位稲荷大明神白幣が納められている。 一間社流造りの本殿には、弓矢を手に持つ八幡大明神座像が厨子に納めて奉安されている。このほかに、合祀された数基の幣芯が納められており、このうち榛名神社から遷された幣芯には「今木青□坂稲実池上神社」と墨書されている。 社頭掲示板 |
七本木神社庚申塚 この庚申塚は、地元では「お庚申さま」と呼ばれており、本郷の愛宕塚から移転されたものです。九八基の庚申塔が建てられており、最も古い庚申塔は享保16年(1731)の青面金剛像です。 庚申(こうしん・かのえさる)は干支の組み合わせにより日数で六十日毎、年数で六十年毎に一回めぐって来ます、庚申にあたる日の夜に寝ると、体内から三尸と言う虫が抜け出て、天帝にその人の悪い行いを告げて寿命を縮めると信じられていました、このため、何軒かが一組になって講を組み庚申の日の夜に集まり青面金剛や猿田彦の掛軸を掛けて拝みました。この夜は寝ないで夜明けまで酒食をしながら世間話や農作物の話をして一夜を過ごしました。 七本木神社 社頭掲示板 |