阿保神社
あぼじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】今城青八坂稲実神社 武蔵国 賀美郡鎮座
   【延喜式神名帳】今木青坂稲実荒御魂神社 武蔵国 賀美郡鎮座

   【現社名】阿保神社
   【住所】埼玉県児玉郡神川町元阿保
       北緯36度13分34秒,東経139度6分1秒
   【祭神】大己貴命 素盞嗚尊 伊弉冉尊 瓊瓊杵尊 大宮女大神 布留大神
   【例祭】10月19日 例大祭
   【社格】
   【由緒】延暦3年(784)創立
       治承4年(1180)造営
       文政元年(1818)再建
       明治43年5月3日阿保神社と改称
       明治43年5月3日今木青坂稲実荒御魂神社とされる稲荷神社を合祀
       大正5年12月23日神饌幣帛料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「六所明神」と称していた
   【社殿】本殿流造瓦葺
       幣殿・拝殿・神樂殿・社務所

   【境内社】菅原神社・八坂神社・産八幡神社・古峯神社
        愛宕神社・春日神社・熊野神社・稲荷神社


延暦3年(784)に当地に来訪した伊賀国の阿保村の阿保朝臣人上が創立したという。
今木青坂稲実荒御魂神社は明治43年5月3日、字稲荷宿から境内社七社とともに阿保神社に合祀された。


阿保神社

當社は阿保朝臣人上の創立せしものにして、延喜式当國四十四座の一、則今城青八坂稲實神社なりと云傳ふ。朝臣は伊賀國阿保村の人なり。延暦3年(784)11月、從五位下に叙せられ、武藏介に任ぜらる。任地に來るや地を茲に相し、一城を築き、今城と称し、本國の地名を移して阿保村と云ふ。社號の依て興る所以なり。阿保、青、國音羽近し。故に式に青坂と証せり。其后治承4年(1180)阿保二郎丹次實光崇敬して、社殿を造営す。后建物頽破せしを以て、文政元年(1818)村民再建せしと云ふ。

神社明細帳



阿保神社

神流川右岸に位置する元阿保の地は、中世の阿保郷に比定され、丹党安保氏の本貫地とされる。丹党の秩父綱房の次子実光は元阿保に住して安保氏を称し、以後在所名を姓とする安保氏は鎌倉期から室町期に散見され、戦国期までつながっていく。地内の字上宿には、安保氏館跡と伝える地があり、現在その遺構は掘と推測される用水跡以外は確認できないが、範囲は掘に囲まれた300m四方の部分と考えられている。館跡のすぐ北西には当社が鎮座しており、更に館跡南西側には安保泰規が室町初期に建立したと伝える大恩寺跡が隣接する。
 当社はその立地から丹党安保氏により鎌倉期以降に祀られたことが推測されるが、『明細帳』に載る由緒は更に古く、平安期の創建と伝え、「当社ハ阿保朝臣人上ノ創立セシモノニシテ延喜式当国四十四座ノ一則今城青八坂稲実神社ナリト云伝フ。朝臣ハ伊賀国阿保村ノ人ナリ延暦3年(784)11月従五位下ニ叙セラル任地ニ来ルヤ地ヲ茲ニ相シ一城ヲ築キ今城ト称シ本国ノ地名ヲ移シテ阿保村ト云。社号ノ依テ興ル所以ナリ。阿保青国音相近シ故ニ式ニ青坂ト記セリ。ソノ後治承4年(1180)阿保二郎丹次実光崇敬シテ社殿ヲ造営ス(以下略)」とある。これに見える阿保朝臣人上は『続日本紀』延暦5年(786)8月8日条に武蔵国国司としてその名が見える。『風土記稿』に当社は「六所明神社」と見えるが、明治期に阿保神社と改称した。

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