天神社
てんじんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】今城青八坂稲実神社 武蔵国 賀美郡鎮座

   【現社名】天神社
   【住所】埼玉県児児玉郡上里町五明 871
       北緯36度15分15秒,東経139度7分0秒
   【祭神】稚産靈神 豊宇気毘売神 大山祇命 日本武尊
   【例祭】10月19日 秋祭り
   【社格】旧村社
   【由緒】創立年代不明
       明治5年村社
       大正8年2月3日神饌幣畠料供進神社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】稲
   【祭祀】江戸時代は「天神社」と称していた
   【社殿】本殿流造
       幣殿・拝殿・神樂殿・社務所・水舎

   【境内社】諏訪神社・稲荷神社・八坂神社・市杵島神社

上里SA南西に接して鎮座する。
「いまき」が「今来」で新米の者、つまり渡来系氏族をあらわし、渡来系氏族が当地に高度な稲作技術を導入し「稲魂」をまつる神社を建立したのが「稲実」であろうとされている。
御神体である神代石(高さ67cm、太さ13.5cmの安山岩)には「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれている。


天神社

創立年代不明。旧社格は村社。從來村の鎭守にして當村内大輻寺持なりしを、維新の際、神職の受持となり、往古より圓形の神代石に古文を以て刻したる者傳來し居りしが、文學に疎く之を解する事を得ざりしが、今日に至り漸く延喜式内今城青坂稲實神社と明瞭し、且亦境内を今城林と云ひ傳來りしを、天正年中(1573〜92)神流川合戦の際瀧川一益此地に陣を転し、大に勝利ありしを以て転陣林と称し來たれり。

昭和27年神社明細帳



天神社

はたしてしからば、今城青八坂稲實神社は、昔いつの天皇即位のときか、武藏國賀美郡が悠紀にト定せられ、(○中略)祭祀用に都に送られた稲穂のなかから、種実用として稲實公が持ち帰つた稲實の一部を部落の人たちがとうとび、神聖視して、その精霊を祀つたものであると考えてもよかろうと思うのである。

菱沼勇『武藏の古社』



天神社

所在地 児玉郡上里町五明871
天神社の祭神は稚産霊神、豊受氣毘売神、大山祇命、日本武尊の四神である。
当社の創立年代は不明であるが、延喜5年(905)に藤原時平らが勅を受けて編集した廷喜式神明帳に載る賀美郡(児玉郡)四社の一つ今城青八坂稲実神社であると伝えられているので、かなり古い社であると思われる。なお、御神体である神代石(高さ67cm、太さ約13.5cmの安山岩)には「えむぎしきない」「いまきあおやさかのかみ」と刻まれている。
現在ある社殿は享保7年(1722)の再建で、天保年間(1830〜44)に書かれた中岩満次郎道純の祈願書が残されている。
明治10年に白山神社を、同42年に丹生神社を若宮より遷し合祀した。
また、境内神社として諏訪神社、稲荷神社、八坂神社、市杵島神社が祀られている。
なお、当社には神楽が伝承されていたが、現在は中断されている。
昭和60年3月 埼玉県 上里町

社頭掲示板



天神社

『明細帳』に「創立不詳、本社ハ延喜式内当国四十四座ノ一ニシテ今城青八坂稲実神社ナリト云伝フ」と載せられている。また、当社に伝わる文書から、天保3年(1832)に上州新田郡の岩松満次郎が、同家の家紋である中黒紋の付いた幕と高張提灯を今城青八坂稲実大明神(当社)に寄付したことが知られる。今城青八坂稲実神社の社名は、稲霊を賛美した名称で、稲作信仰に基づくものであるとされる。ただし、児玉郡内には式内社の今城青八坂稲実神社に比定される神社が当社を含めて六社あり、定かでない。
『風土記稿』五明村の項には、「丹生社・天神社 以上ニ社を村の鎮守とす、大福寺持なり」とある。明治初年の神仏分離により大福寺の管理を離れ、明治5年に村社となった。また、明治41年には丹生社を合祀した。

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