白旗八幡社 井椋神社境内社
しらはたはちまんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】出雲乃伊波比神社 武蔵国 男衾郡鎮座

   【現社名】白旗八幡社 井椋神社境内社
   【住所】埼玉県深谷市畠山942
       北緯36度7分58秒,東経139度16分12秒
   【祭神】
   【例祭】
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

平安初中期に、出雲乃伊波比神社と称した当社は、天喜年中、奥州征伐の途次、源頼義が白籏を献じて戦勝を祈つたことにより、社号を白旗八幡社に改めたという。
その後、赤浜字下河内に奉遷し、天正8年(1580)荒川の氾濫にあつたため、現在地(寄居町赤浜)に移転した(出雲之伊波比神社)。
八幡社が赤浜に遷座した後、畠山の氏子等は、ここに祠を立てて祭りをつづけた。その後、明治末年に、勅令に基いて此を井椋神社の境内に移転移転した(白旗八幡社 井椋神社境内社)。


井椋神社

 井椋神社は、畠山氏の先祖である将恒から武基、武綱、重綱、重弘、重能の代に至る間、秩父吉田郷領主として井椋五所宮を敬ってきた。その後、重忠の父重能が畠山庄司となって館を畠山に移した時、祖父重綱が勧請(分祀)したものである。
 初めは、井椋御所大明神、井椋五所宮と号していたが後に井椋神社と改称したものである。
 祭神は、猿田彦大神のほか四柱である。そのほか境内には近所の各神社が合祀され、蚕の神様である蚕影神社、源氏の白旗を祭った白旗八幡神社等がある。
 また、社殿の裏の荒川断崖に鶯の瀬の碑が建立されている
平成11年9月 埼玉県

社頭掲示板



井椋神社

井椋神社は武蔵國大里郡本畠村大字畠山に在り猿田彦命天兒屋命武甕槌命経津主神比賣神の五柱の神を祀る村社なり其創始は遠く日本武尊東夷征討の時に在り是れ延喜式載る所秩父郡二座の内椋神社なり同郡吉田郷芦田村に鎮座す平将門謀反を起すや藤原秀郷追討の命を奉し来て祈願を籠め猿田彦命一神なり志を藤原祖神の四柱を合せ祭り井椋五所大明神と称す畠山重忠六代の祖秩父六郎将恒以後四代相續いて吉田郷の領主たり故に世々尊崇殊に厚かりしと云ふ天治年中重忠祖父秩父権守重綱居館を畠山に移すに當り椋神社を比地に勧請し井椋五所宮と称へ■王政維新の後明治3年11月井椋神社と改称し村社に列せらる39年勅令の旨に基き41年10月無格社字山王日吉神社字諏訪亥諏訪神社字子の亥子大神社字冨士腰浅間神社を井椋神社境内に移轉し字如意稲荷神社を井椋神社末社稲荷神社に合祀し字八幡八幡神社を字栗坪白旗八幡神社とを合祀して井椋神社境内に移転す42年7月神饌幣帛料供進を指定せらる而て氏子等同心戮力して35年拝殿を建築し大正4年御大典記念をして石鳥居及社務所を建設し崇敬奉仕懈らず皆脳く誠を效す是に於て社頭愈整へ神威益揚る頃者氏子相謀り碑を建て其来由を後世に傅へんとし余の文を需む余深く敬神の志を慶ひ其所言の概要を誌すと云爾

社頭石碑




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