伊波比神社
いわいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】伊波比神社 武蔵国 横見郡鎮座

   【現社名】伊波比神社
   【住所】埼玉県比企郡吉見町黒岩 346
       北緯36度3分16秒,東経139度26分35秒
   【祭神】天穗日尊 誉田別尊
       『神社覈録』『武藏国式内社四十四座神社命附』誉田別天皇・天太玉命
       『神祇志料』大己貴尊
       『神名帳考証』(延経)天穂日命

   【例祭】10月14日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】和銅年間(708-715)に創建された式内社
       喜祥2年(849)従五位下
       貞観元年(859)には盤井神として官社に列格
       応永年間(1394年ごろ)息障院が現在地に移転したとき伊波比神社もこの地に遷

   【関係氏族】
   【鎮座地】現在の社殿の西方「八幡台」と呼ばれているところが旧境内
        応永年間(1394年頃)息障院が現地に移転したとき伊波比神社もこの地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「岩崎大明神」「岩井神社」「岩井八幡」と称していた
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

和銅年間(708-715)に創建されたと伝。
「イハヒ」は「齋(イハヒ)」「忌(イハヒ)」であり、武蔵国造の祖を祀つた神社であろう。
現在の社殿の西方にある「八幡台」と呼ばれているところが旧境内であるといわれている。(吉見町文化財整理室又は吉見町黒岩配水場のあたりか)応永初年(1394)ごろに現在地に移転した。


岩井神社

岩井神社 或ハ岩井八幡トモ称ス 村ノ鎮守ニテ村民ノ持 祭神誉田別天皇天太玉命 今ノ神体馬上ニ弓箭ヲトル像ナリ 按二延喜内神名帳二武蔵国横見郡伊波比神社ト載セヌ続日本後記ニ嘉祥二年三月庚寅奉授武蔵国伊波比神従五位下トアリ 是当社ノコトナルヘシ 土人等ハ式内ノ社ナルコト云モ伝ヘサレト社地ノサマ老松生ヒシケリイカニモ古キ社ト見エタリ

新編武蔵風土記稿



伊波比神社

吉見丘陵の東端部、旧荒川筋沿いに鎮座するのが当社である。付近には、茶臼山古墳や古墳時代後期の黒岩横穴群があり、現在五〇〇基以上も確認されている一大古墳群の地である。また大化前代、屯倉が置かれるほどの要地であった。安閑天皇元年(534)紀に、武蔵国の国造・笠原直使主と一族とが国造をめぐり争った結果、朝廷が使主を国造とする裁断を下したことに感謝して、屯倉を奉ったとある。その時に置かれた「横渟屯倉」が吉見町に比定されている。これらのことから、大化前代以来の有力豪族が強大な支配権を有していたのは明らかである。
当社は和銅年間(708-15)の創建と伝え、『延喜式』神名帳に収載されている式内社である。嘉祥2年(849)に伊波比神が従五位下に叙せられ、次いで貞観元年(859)に盤井神として官社に列格された。平安時代においても、朝廷からの班幣の対象社として重んじられ、地方の有力社と認められていたことがわかる。
中世の当社の様子は不明であるが、当地は平安時代末から鎌倉初期にかけて、源頼朝の弟の範頼の所領となり、その子孫が吉見氏として四代続いた。そして当社の東南約600mの地に吉見氏の城館跡があるところから、時の為政者により在地信仰の中心として重要視されていたと思われる。それは社号からも推察されるが、かつて当社は岩井八幡宮と称しており、現在も社号額は旧社号のまま残されている。『風土記稿』に「或は岩井八幡とも称す、村の鎮守にて村民の持、祭神誉田別天皇天太玉命、今の神体馬上に弓箭をとる像なり」と記されており、恐らく中世から範頼などの武将達が武運を願い八幡信仰をもたらしたのであろう。軍神として八幡神が勧請された後に誉田別尊が主祭神となった可能性が高いのである。元来の祭神は、外の出雲伊波比神社(毛呂山町・寄居町)との関連で、武蔵国造の遠祖を斎い祀る出雲系の神とする説が有力である。当社の祭神を『神祇志料』は大巳貴命、『比企郡神社誌』は天穂日尊・誉田別尊と載せており、出雲系の神を主祭神としている。
現社地の西方の台地は八幡台と呼ばれる旧境内地である。その地続きの観音山にある観音堂には正観音像が安置されており、当社祭神の本地仏であった。観音山は吉見村の除地で息障院の所有であった。同院が応永初年(1394年ごろ)に現在の御所の地に移ったとされ、その際に当社も現在地に移転されたと考えられる。
明治40年には、字立石に鎮座していた岩崎大明神社が合祀されている。その旧地の荒藺崎は、名が示すとおり旧荒川に洗われた岩壁が残る。黒く切り立った岩石があるところから、黒岩の地名の由来となった。眺望が美しい所に石宮と石段がひっそりと残っている。

埼玉の神社



伊波比神社

伊波比は假字也○祭神誉田別尊、天太玉命、(地名記)〇黒岩村に在す、(同上)今岩崎大明神と称す、(式社考)例祭月日、
類社
当國入間郡出雲伊波比神社、男衾郡出雲乃伊波比神社、
連胤按るに、こは都て同神なるべし、さるに、社別に祭神を違ひて傳へたるはいぶかしき事也、殊に他國に類社もなきは、当國に故ある事なるべし、
神位
続日本後紀、嘉祥2年2月庚寅、奉授武藏國伊波比神從五位下、

神社覈録



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