高負彦根神社
たかおひこねじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】高負彦根神社 武蔵国 横見郡鎮座

   【現社名】高負彦根神社
   【住所】埼玉県比企郡吉見町田甲 1945
       北緯36度4分8秒,東経139度26分18秒
   【祭神】味耜高彦根尊 大己貴尊
   【例祭】7月18日 例祭
   【社格】
   【由緒】和銅三年(710年)に創建
       宝亀3年(772年)12月19日の大政官符に記載
       天平勝宝7年(755)に官符

   【関係氏族】吉志(きし)氏
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】玉鉾石という巨岩
   【祭祀】江戸時代は「玉鉾氷川明神」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造
       拝殿・社務所

   【境内社】

玉鉾山の頂上に南面して鎭座する。社殿の後方に玉鉾石という巨岩がある。『武藏国風土記稿』に依れば、この岩は踏みならすと鼓のような響きがあるのでこの名があるという。今はこの山を「ポンポン山」「ボンボコ山」といつている。
タケブはオタケビをすることであり、サケブと同義の語である。祭神の御性格の激しさをそのまま神名とし、社名としたものであろう。


高負彦根神社

延喜式内社で昔は玉鉾氷川神社とも称した。祭神は、味耜高彦根尊・大己貴尊とされるが素盞鳴尊ともいわれる。
社記によれば、和銅2年(710)創建と伝えられる古社で宝亀3年(772)12月19日の太政官符に「案内ヲ検スルニ、去ル、天平勝宝7年(755)11月2日ノ符ニアグ。武蔵国幣帛ニ預ル社四処」として、その一つに「横見郡高負比古乃神」と記してある。
社殿の後方の巨岩に近い地面を強く踏むとポンと音を発する。そこでこの山をポンポン山ともいう。巨岩の直下20mの平地は古代荒川の流路であった。
吉見丘陵の東端をめぐった荒川流域に式内社3社が存在したのはこの地域が早くから開発が進んでいたことによるものと思われる。
平成10年3月
吉見町・埼玉県

社頭掲示板



獅子封じ塚

昔、高生郷(現在の田甲)には、獅子舞いの古い行事がありました。
今から、数百年前ごろの旧暦6月の某日、悪疫退散のため、獅子頭を冠り、戸毎を訪問する行事が行われておりました。
しかし、ある年、痢病が著しく発生し、死者も多く出たので、村人たちは、これは産土神のお咎めではないかと恐れ、獅子頭を境内に埋没し、その上に柊(昭和12年に大柊は、県指定文化財となるが、現在は二代目)を植えて、獅子封じをしました。それ以来、痢病もおさまり、平和になったと言れています。
※痢病…腹痛や下痢の激しい伝染病の類。
※産土神…その生まれた土地を守護する神、鎮守の神。
※高負彦根神社の三鉾…湊石(御身体)・大柊・菊水(湧水)

社頭掲示板



高負彦根神社

村内高負比古根ノ神社ハ延喜式神名帳ニ載ル所且和名鈔ノ郷名ニ高生ト載ス多介布ト註スレハ舊キ名ナル事シラル又當郡東ノ方荒川ヲ隔テ足立郡高尾村アリ 古ハ田高トモ記セシ由是田甲ノ轉訛ナラン 想ニ唱ト云ヒ□キ一河ノ隔ト云ヒ當所ノ名ノ廣ク彼所迄モ及シナラント里人語レリ
高負比古根神社 村ノ鎮守ナリ 例祭9月19日 當社ハ延喜式神名帳ニ載ル所ノ高負比古神社ニシテ祭神ハ昧鉅高彦根命或ハ素盞鳴尊ナリトモ云 中古以來玉鉾氷川明神稱シ來リテ式社タル事モ定カナラサリシニ後高負比古根神社ト稱セシ由ナレト果シテ古ノ式社ナリシヤ未詳ニセス 社ノ後背ハ高十一間許ナル□石ノ丘ニテソノ内社ニヨリタル邊踏鳴セハ皷ノ如ク響キアル處アリ ソコヲ玉鉾石ト稱ス又通シテ玉鉾山トモ號セリ 玉鉾神靈ノ寓スルト云意ナル欺ヨリテ玉鉾氷川トイヒシトミユ 又社傍ニヨモキノ松ト云アリ圍ミ一丈餘 社前ニ湊石ト云アリ共ニ由來詳ナラス 村内福聚寺ノ持

新編武蔵風土記稿



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