吉見神社
よしみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】横見神社 武蔵国 横見郡鎮座

   【現社名】吉見神社
   【住所】埼玉県熊谷市相上1
       北緯36度5分35秒,東経139度24分41秒
   【祭神】天照大神
   【例祭】4月17日 春日待
   【社格】旧郷社
   【由緒】和銅六年(713)創立
       

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】東宮社・伊奈利神社・天神社

古くは神明社や天照太神宮と称し、上吉見領の総鎮守だったという。


吉見神社

和銅六年(713)景行天皇56年に御諸別王(みもろわけのきみ)が当地を巡視した折、田野が開かれず、不毛の地であるのを嘆いて倭国の山代国・川内国・伊賀国・伊勢国の多くの里人を移して多里(おおさと)郡を置き、後に豊かな地となった報賽として太古に武夷鳥(たけひなとり)命が高天原から持ち降ったという天照大神ゆかりの筬(おさ)を神体として天照を祀り以来御諸別王の子孫が代々神主として奉仕している。

埼玉の神社



相上神楽

村指定無形民俗文化財 相上神楽
 指定  昭和54年5月14日
 所在地 大里村大字相上
 期日  7月15日、吉見神社境内
 相上神楽の起原は、江戸時代中期、天保6年(1835年)8月に関東地方を襲った嵐により、荒川や吉見神社の背後を流れる和田吉野川の堤防がまさに決壊しようとしていた。その時、村人が吉見神社に祈願したところ災害を免れることができた。こののち村人が神楽殿を建設し報賽したのが始めと言われている。
 相上神楽は、坂戸市の大宮住吉神楽の系統に属し、曲目は、国取、三人和合、氷の川、岩戸開等であったが、昭和40年代後半に奉楽されたのを最後に途絶えてしまった。
 そして、平成7年、相上地区の住民により神楽を復活させようと相上神楽保存会が設立され、子供たちを中心に伝承者より神楽舞や囃子を受け継ぎ、大祭のおりに奉楽している。
大里村教育委員会

社頭掲示板




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