横見神社
よこみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】横見神社 武蔵国 横見郡鎮座

   【現社名】横見神社
   【住所】埼玉県比企郡吉見町久保田117
       北緯36度2分4秒,東経139度26分50秒
   【祭神】奇稻田姫命 宇迦之御魂命
       (合祀)伊弉册尊 速玉之男命 泉津事解之男命 大己貴命 豐城入彦命

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】
   【由緒】

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】八坂神社

慶長17年(1612年)夏の洪水で、吉見町大字御所地内の横見神社がこの地に流れた為に祀られたと伝えられている。
社殿の右側にある一見古墳と思わせる高台の上に摂社愛宕神社が鎮座する元々この久保田の鎮守社であったが、建長年間に御所横見神社のご神体である石剣がこの地に漂着したものを住民たちが祀り、愛宕神社は摂社として今に至っているという。



飯玉明神社

當村及び上下細谷・御所・中新井・谷口・和名・小新井等の八村の鎮守なり、神體は石劔なり、當社は元御所村なりしが、水災に逢て漂着せしを、取上て爰に祀とて、此地そのかみ愛宕社地なりしが、今は衰て却て末社となれし、

新編武蔵風土記稿



横見神社

久保田は北境を主要地方道である東松山鴻巣線が走り、集落は自然堤防上にほぼ分布している。『郡村誌』に「平坦運輸便利」と記され交通の便が良かったものの「時々水旱に苦しむ」ことがあった。
当社の創建は水害にかかわっている。『風土記稿』には旧社号の飯玉明神社として「当社は元御所村なりしが、水災に逢て漂着せしを、取上て爰に祀とて、此地そのかみ愛宕社地なりしが、今は衰て却て末社となれり、無量寺持」と記されている。社伝によれば、これは建長年間(一二四九-五六)に起きた大洪水の際の出来事と伝え、窪田村(当時)に流着した神体を貴い神の来臨と考えて祀り、洪水の被害後の村の復興のために豊作が祈られたという。
無量寺は新義真言宗の寺で息障院の末寺である。「新井家文書」の寛政十年(一七九八)の記録によれば、祭祀・管理費を通常は別当である同寺に負担してもらっていたが、総鎮守として社殿修復費が多額になる時があり、その際には村持ちの田地を同寺に譲渡して村民が負担している。こうした村掛かりは当然のことであったとしても、別当掛かりのままにしないという心意気が汲み取れるであろう。
当社の社号は旧社号とも、本社である御所の横見神社に倣っており本社が明治初年に改称したことから、当社も明治四年の村社列格を機に同社号に改めている。

埼玉の神社



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