多気比売神社
たきひめじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】多気比売神社 武蔵国 足立郡鎮座

   【現社名】多気比売神社
   【住所】埼玉県桶川市篠津 58
       北緯36度1分56秒,東経139度34分13秒
   【祭神】豊葺健姫命
       『惣国風土記七十七残欠』拷機千々比売
       『神社覈録』「多気比売」という一地方神

   【例祭】3月15日 例大祭
   【社格】
   【由緒】由緒不詳

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「姫宮社」と称していた
   【社殿】本殿入母屋造板葺
       拝殿・社務所

   【境内社】
   【境内図】 境内図

篠津の南、篠津川のほとりに南西に面して鎮座している。
篠は竹の一種であり、篠津の「多気比売」は「竹比売」と考える説と、「多気」を「建・武・猛」の意とすれば元荒川の氾濫をその神の御性格と見て、たけり狂う神、たけだけしい神として「建比売」をこの地に奉祭したものとする説がある。
「多気比売」は正史には見えない神であるこの地方の地方神と考えられる。
安寧天皇の時代(紀元前567年 - 紀元前510年)に創建されたと伝えられる。明治元年(1868年)に社名を「姫宮社」から「多気比売神社」に改称。


市指定天然記念物

多気比売神社の大シイ
昭和36年4月1日指定
この多気比売神社は、平安時代の書物である「延喜式」(927年完成)に収められている神名帳にその名が記されている市内で最も古い神社であり、その祭神は「豊葦建姫命」である。また、この神社は「ひめみやさま」と親しまれ、古くから安産の神として婦人の信仰を集めてきた。
現在、市指定天然記念物となっている「多気比売神社の大シイ」は、樹齢約600年と推定され、その規模は以下のとおりである。
樹高 13m 根廻り 6.7m
枝張り 17m(南北) 14.1m(東西)
境内にある他の樹木とともにこの大シイは、鎮守の森として篠津地区の人々の信仰と親愛の情によって守られ、今なお、五月末ごろには黄色い房状の花が咲き、やがて小さなシイの実をつける。
昭和62年3月
桶川市教育委員会

社頭掲示板



多気比売神社

多気比売神社は、平安時代の書物である「延喜式神名帳」(927年完成)に収められている式内社で、武蔵国足立郡4座の一つに比定されている。神社の創立は、3代安寧天皇の代だと言われ、武蔵国内では多摩市の小野神社と並んで最も古い神社で、江戸期は「姫宮社」と呼ばれていた。古くから人々にも、「ひめみやさま」と呼び慕われ、「安産祈願」「子授け祈願」の信仰を集め、お参りに来る人たちが多かった。
旧別当金剛寺は真言宗の寺院だった。文化5年(1808年)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺専教」の名が見える。明治初年の神仏分離で社名を「姫島社」から「多気比売神社」に改め、明治6年村社となる、当初は金剛寺の僧が(金田と改姓)神職を務めたが、現在は近隣の氷川天満神社宮司の桜井家が兼務継承している。

由緒書



多気比売神社

御縁起(歴史) 桶川市篠津58 『延喜式』神名帳に戴る足立郡四座のうちの一座「多気比売神社」に比定される当社は、篠津の集落の南に、赤堀川を望んで鎮座する。赤堀川を挟んで対岸は一面の水田となっているが、かつては「篠津沼」という大きな沼があった。篠津とは篠の生い茂った中の船着き場に由来するといい、祭神である豊葦建〔竹〕姫命を考え合わせるに、恐らくは篠や葦・竹の茂った付近一帯を領く女神を祀ったものであろう。
『風土記稿』篠津村の項に「姫宮社当社は〔延喜式〕内多気比売神社にて、祭神は豊葦建姫命なり神体は女体にて十二単衣冠の坐像〔中略〕金剛寺の持」と載り、江戸期、当社は姫宮社と呼ばれており、延喜式内社の多気比売神社に比定されていたことがわかる。しかし、吉田東伍氏は「大日本地名辞書」の中でこれを否定し、さいたま市緑区三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている。別当の金剛寺は、真言宗の寺院で、社蔵の文化5年(1808)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺専教」の名が見える。
明治初年、当社は社名を姫宮社から多気比売神社に改め、明治6年に村社となった。同40年大字五丁台字上耕地の稲荷社を合祀した。
祀職は、明治初年の神仏分離により金剛寺の僧が姓を金田と名乗って復飾し神職となり、当社の東隣に居住して昭和20年ごろまで務めたが、その後、加納の桜井家が継いで、現在に至っている。

社頭掲示板



姫宮社

當社は【延喜式】内多氣比賣神社にて、祭神は豊蘆建姫命なり、神體は女體にて十二單衣冠の坐像、本社の前に幣殿拝殿側に椎の大木二株あり、往古は一樹なりと云、何の頃にや枯て其朽たる根際二樹合して生ぜり、根の圍み二株合して二丈餘、又一樹は周徑一丈六尺餘、何れも古木にして神木とす、金剛寺の持、

新編武蔵風土記稿



多氣比賣神社

『延喜式』神名帳に載る足立郡四座のうちの一座「多気比売神社」に比定される当社は、篠津の集落の南に、赤堀川を望んで鎮座する。赤堀川を挟んで対岸は一面の水田となっているが、かつては「篠津沼」という大きな沼があった。篠津とは篠の生い茂った中の船着き場に由来するといい、祭神である豊葦建(竹)姫命を考え合わせるに、恐らくは篠や葦・竹の茂った付近一帯を領く女神を祀ったものであろう。
『風土記稿』篠津村の項に「姫宮社 当社は〔延喜式〕内多気比売神社にて、祭神は豊葦建姫命なり 神体は女体にて十二単衣冠の坐像(中略)金剛寺の持」と載り、江戸期、当社は姫宮社と呼ばれており、延喜式内社の多気比売神社に比定されていたことがわかる。しかし、吉田東伍氏は『大日本地名辞書』の中でこれを否定し、浦和市三室の氷川女体神社を本来の多気比売神社であるとしている。
別当の金剛寺は、真言宗の寺院で、社蔵の文化五年(一八〇八)の「姫宮大明神」再建棟札にも「別当金剛寺専教」の名が見える。
明治初年、当社は社名を姫宮社から多気比売神社に改め、明治六年に村社となった。同四十年大字五丁台字上耕地の稲荷社を合祀した。

埼玉県神社庁



多氣比売神社

多氣比売は假字也○祭神明か也○上篠津村に在す、(地名記)今姫宮と称す、例祭月日、O惣國風土記七十七残欠云、武藏國足立郡多氣比盗_社、神田二十三束、磯城津彦玉手見天皇御宇、(虫食)所祭拷機千々比当轣A
或云、桶川在神野村にあり、

神社覈録



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