青渭神社
あおいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】青渭神社 武蔵国 多摩郡鎮座

   【現社名】青渭神社
   【住所】 東京都稲城市東長沼1054
       北緯35度38分33秒,東経139度30分4秒
   【祭神】青渭神 猿田彦命 天鈿女命
   【例祭】10月1日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】弘仁年中鎭座
       明治初年青渭神社と改称
       明治6年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「青沼大明神」と称していた
   【社殿】本殿神明造鉄筋コンクリート造
       拝殿

   【境内社】稲荷神社

第3小学校東に鎮座する。
往古は社前に長沼という大きな沼があつたと伝えている。
この地は多摩川の氾濫原であり、長く沼地であった。そのため、かつては大沼明神、青沼大明神などとも呼ばれていた。


由緒

当社創建の年代は詳らかでないが弘仁年中の創立との伝承がある延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。
祭神は青渭神、猿田彦命、天鈿女命を祀る。
昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。
大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。
現社殿は昭和49年の造營であるが本殿は往昔のまゝで数百年を経ている。
明治6年郷社に列せられる。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




青渭神社

本社ハ延喜式神名帳二載スル所ノ青渭神社ノ實蹟タレトモ、其ノ鎭座ノ年月二至リテハ未タ詳ナラス。一説二弘仁年中鎭座トノ傳説アレトモ確ナラス。當時或ハ社殿改築等著シキ経営ノ挙アリシニヤ。サテ、本社ハ古來青沼大明神ト称シ、社地ノ付近二方数十間二亙レル大沼アリテ池水常二青潭ナリシト。且近傍数十町ノ田園二悉ク青沼ノ字名ヲ冠セラレ今尚ホ其ノ称號ヲ変スルコトナシ。又番場ト称スル地南方数十歩ノ地ニアリ、古昔流鏑馬等の古式ヲ行ハレシ古蹟ト言傳ヘタリ。毎年一月二日、村内ノ者馬ヲ牽テ本社二参拝シ、帰途此ノ地二於テ競馬ノ儀ヲ行フコトアリ、之レ旧儀ノ今二存レルモノナリ。明治初年、青渭神社ト改称シ、尋テ郷社二列セラレタリ。

明治33年10月の神社明細帳(稲城市役所藏)



青渭神社

昔は此の付近に大きな青い沼があり、その神霊を祀ったことが起源とされる。
そのために別に青沼大明神とも称される。祭神は出雲系の青渭神で農耕や生産に霊験あらたかな神である。本殿は昭和49年に改築されたものである。
毎年10月1日には、市指定文化財の獅子舞が奉納される。この獅子舞の起源を明らかにすることは出来ないが、大正4年より23年間中断していたのを、昭和12年に復活して現在にいたる。
舞いの形は、大獅子、女獅子、求獅子の三頭の獅子と天狗によるもので、囃方は笛吹、貝吹、歌方によって構成される。

社頭掲示板



稲城市指定芸能

青渭神社獅子舞
所在 稲城市東長沼1054
青渭神社
指定 昭和57年3月30日
毎年10月1日の青渭神社祭礼当日に行われる。
9月になると稽古を壱はじめ、9月30日に当家(獅子毎の代表者)の庭先で揃い獅子を舞う。10月1日に青渭神社で奉納され、翌日は周辺の神社で舞い、最後に当家の庭先で舞い収めをする。
舞いは大獅子、女獅子、求獅子の三頭の獅子と天狗によるもので、囃方は笛吹、貝吹、歌方によって構成される。
この獅子舞は大正4年より23年間中断していたが、昭和12年に復活され現在に至っている。
以前はば市内の他地区でも見られた行事であるが、しだいに消滅し、現在では東長沼と矢野口に残る。
昭和57年3月31日
稲城市教育委員会

社頭掲示板



青渭神社

当社創建の年代は詳らかでないが、光仁年中の創立との伝承がある。延喜式神名帳所載の多摩八座の一社で古社である。
祭神は青渭神猿田彦命天鈿女命を祀る。
昔は大沼明神又は青沼大明神と称した。
大祭には青渭獅子舞奉納の神事がある。現社殿は昭和49年の造営であるが本殿は往昔のままで数百年を経ている。明治6年郷社に列せらる。

社頭掲示板



青沼社

村の西に在。猿田彦命を祀れり。青沼大明神と号す。相傳ふ此邊に大なる沼ありて、その沼より神体出現せり。故に昔は大沼明神とかきしと。されどこの説もかたりつたへのみなれば、いかがはあらん。「神名帳」にのせたる青渭神社は、もしくは当社ならんかとおもはるれど、郡内上澤井村(現青梅市)にも青渭神社と称する社あり。かの社傳もたしかならざれば、いささかここにも記しおくのみ、今はおしなべて水田となれり。小社にて三間半に四間半の覆屋あり。前に鳥居をたつ。村内の鎮守なり。神主福嶋左内。

新編武蔵風土記稿



郷社 青渭神社

祭神 青渭神
社伝に拠れば勧請年代は弘仁年中なりと傳ふとあり、今新編武蔵風土記稿に云「青沼社、村ノ西に在り、猿田彦命を祀れり、青沼大明神と號す、相伝ふ此邊に大なる沼ありて、その沼より神体出現せり、故に昔は大沼明神とかきしと」云々、式の神名帳に載せたる青渭神社は当社なるべしとの説あれど、郡内にて他に二三個所も同様の説をなすものあれば決し難し(澤井村及深大寺村青渭神社の條参酌すべし)特選神名牒に云く「青渭神社、祭神青沼馬押比売命、所在長沼村(字青沼)今按、本社所在一ハ深大寺村ニアリ、此説ニ往古ハ社前ニ五町余ノ池アリ、池ノ谷ト云シガ今埋リ残リノ池アリ、旱魃ニ涸ルコトナシト云ルノミニテ証ナシ、一ハ澤井村ニアリ、其説ニ本社山岳険阻ニシテ樹木森々社前ニ霊泉アリ、水清冷ニシテ四時涸ルコトナシ、之ヲ真名井卜モ青渭トモ云ヒ、寛文、享和ノ書物二青渭社ト記シ、寛政度ノ村鑑ニ式内青渭神社ト記セリ卜云ヲ以テ証トシツレド、長沼村ノ田畑図ニ、青渭神社ノ南ノ田ノ字青ヌマ前、上田二畝卜、中田三畝ト、又石鳥居ノ東ノ田字青ヌマ前、上田七畝二十五ト、又青ヌマ脇、又東ニ青ヌマ出口トミエ、又社後ニ字青渭後、中田九畝十八卜、字青渭クシ口、中田一反十二ト、ナド記シ、青渭字分、上中下田畑〆二町九反二畝トアルモノ確証ト云ヘシ、故今之ニ従フ」と、明治6年11月郷社に定まる、社殿は本殿、拝殿を具へ、境内386坪(官有地第一種)を有す。

明治神社誌料



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