天寧寺と隣の谷にあり。三田氏との関わりもある神社。 明治3年(1870年)、それまで脇殿に祀られていた虎柏神を正殿に遷し、諏訪上下神を東の相殿として、虎柏神社の旧称に復した。 朝日の仮屋・夕日の仮屋とする茅葺き小屋がある。 |
由緒 創建年代久遠して不祥。虎柏神社と称し、崇神天皇の御宇神地を賜わり延喜式の神名帳に記載された、延喜式内社である。多摩八社の一つに列した。平安時代、諏訪神社を勧請し、諏訪宮と呼ばれ虎柏の名は、古名と心得しが、維新の際、旧名に復した。古くは小曽木郷の総社であり、明治6年郷社に列せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
虎柏神社 旧霞地区の根ヶ布(現・根ヶ布一丁目)に鎮座する。祭神は大年御祖神、惶根神、建南方命、事代主命(東相殿)、頚佐之男命(西相殿)で、例祭は8月26・27・28日である。 創建は伝えるところによると、崇神天皇のころ神地を給わり、古くは諏訪宮とも称した延書式内の旧社である。天慶3年(940)、源経基が諏訪上下大神を勧請したと伝える。 文応元年(1260)に再建し、永正年間(1504〜20)、勝沼城主三田氏の信仰厚く、社殿の建築を行った。現在の本殿は正徳3年(1713)に再建したものである。当時の御朱印は三石である。明治維新のとき社名を旧名に改め、明治6年に郷社に列格した。社宝の縁起板によると、往古、武蔵国小曾木郷の総社であったことが知られる。 本殿は都有形文化財に、境内は都史跡に、おとの入り神事は都無形民俗文化財に指定されている。境内面積は2209坪(7290u)である。 青梅市史 |
諏訪明神社 虎柏神社、高峯神社を相殿に祭る、諏訪明神社領三石の御朱印を附せらる、本社三間に一間、拝殿三間に一間半、前に鳥居を建つ、吉田派の神職宮崎左近持、社傳に【延喜式】の内虎柏神社は當社のことにして、祭神進雄尊なりと云、いつの頃よりか諏訪明神を以て通稱とし、虎柏の名は古名とのみ心得、併せて三神鎮座の由来をも失へり、今小曾木郷の總社とす、しかるに當郡柏江郷佐須村にも亦虎柏の社あり、別當虎柏山日光院安楽寺といふ、彼村にても亦式内のよしをいへり、いづれを是とすべきや、佐須村の條を併せ見べし。 新編武蔵風土記稿 |
虎柏神社本殿 東京都指定有形文化財(建造物) 虎柏神社本殿一棟 付本殿棟札一枚 安永6年丁酉7月吉日の記のあるもの 所在地 青梅市根ヶ布一丁目313番地 指定 平成5年3月22日 享保19年(1734)多摩郡青梅村大柳の張海次郎兵衛が棟梁をつとめ、同郡羽村根岸の大工宮川善右衛門らが工事に携わり、建立されたものである。 形式および構造は三間社、切妻造り、茅葺で、身舎の規模は桁行4.877m、梁間2.940mとなっている。 記録によると安永6年(1777)に修理が行われたが、その後、明治25年(1892)に階修理と屋根の葺替え、同29年には屋根の葺替えが実施されている。 当本殿は、公儀普請の建物を除くと東京都内の中で数少ない二間社の遺構の一つで、建築年代も三間社としては古い時期に属し、装飾的要素も控えめで全体的に古式を伝える貴重な神社建築である。 平成6年3月21日建没 東京都教育委員会 社頭掲示板 |
市史跡虎柏神社 祭神は大年御祖神ほか4柱を祀り、例祭は8月28日である。延喜式内の旧社と伝え、昔は諏訪宮ト称した。文応元年(1260)再建、永正年間(1504−20)勝沼城主三田氏の信仰厚く、社殿の改築を行った。明治維新のおり、旧名に復し、古くは小曽木郷の総社であったが、明治6年郷社に列した。社宝として多摩郡小曽木郷惣社縁起板二枚がある。 昭和28年11月3日指定 青梅市教育委員会 社頭掲示板 |
虎柏神社境域 東京都指定史跡 虎柏神社境域 付 虎柏神社境域関係資料 二点 所在地 青梅市根ヶ布1-197外 指定 平成5年3月22日 虎柏神社は、定かではないが、いわゆる延喜式内社に比定される古社である。 当神社は永正年間(1504−21)勝沼城主三田氏宗により再建されたと伝えられ、享保12年(1727)の「武蔵国多摩郡古曽木郷惣社縁起」には、天正18年(1590)浅野長政が正殿に諏訪神、東の御殿に虎柏神、西の御殿に疫神を定め、古曽木郷の総社を号したと記されており、江戸時代には諏訪明神社と称していた。天正19年11月には徳川氏より朱印地三石を下賜されているが、朱印高は幕末まで変わることはなかった。 明治3年(1870)には社号を旧名の虎柏神社に改め、虎柏神を正殿、諏訪神を東殿に遷座し、明治6年12月郷社に列せられている。 現在の境域には享保19年(1734)建立の本殿を中心に配置された諸殿舎と江戸時代以降に寄進された石造物、及び古木の境内林などが存し、江戸・明治期の旧態をよく留め、宗教的神秘性を有する独特な空間を形成している。 指定面積は45,155.23uである。 平成6年3月31日 東京都教育委員会 社頭掲示板 |
虎柏神社 虎柏は登良加志波と訓べし○祭神大蔵御祖神、(風土記)〇小曾木郷根箇布村に在す、(地名記)今諏訪明神と称す、郷申惣社也、例祭月日、○惣國風土記七十七残欠云、武藏國多磨郡虎柏神社、圭田七十三束、所祭大蔵御祖神也、崇峻天皇2年乙酉8月、始祭事有之、 古松軒の筆記には、佐須村に至ての小社あり、虎柏神社と称す、また同村に、虎柏仙祇園寺といふもあるよし見えたり、 社領 当代御朱印高三石 神社覈録 |
郷社 虎柏神社 祭神 大年御祖神 惶根神 相殿 建南方命 事代主命 素戔鳴命 社伝に拠れば。崇神天皇御宇勅祭せられしが、後天慶3年経基再び造営すと、惣国風土記残欠に「武蔵國多摩郡虎柏神社、圭田七十三束、所祭大歳御祖神也。崇峻天皇2年乙酉8月、始祭事有」と見ゆ、祭神につき特選神名帳に「今按、社傳祭神大歳御祖命トアルハ総國風土記ノ説ナレバ從ガタシ、又武蔵演露ニ素戔鳴尊トアレド明証ナシ云々」と姑く附して参考に備ふ、相殿諏訪神社は天慶年間源経基の創祀ありしを、天正18年木村常陸介淺野弾正少弼当社の由来を記し、諏訪上下の神を祭るといふ、 然るに式内虎拍神社につき、新編武蔵風土記稿は左の如く述べたり、云く、 「諏訪明神社、虎柏神社、高峯神社を相殿に祭る、諏訪明神社領三石の卿朱印を附せらる、社伝に延喜式の内虎柏神社は当社の事にして、祭神進雄尊なりと云ふ、いつの頃よりか諏訪明神を以て通称とし、虎柏の名は古名とのみ心得、并せて三神鎮座の由来をも失へり、今小曾木郷の総社とす、云々」 然るに同郡佐須村にも亦虎柏神社といふ社ありて、之も式内なりと称し、其何れか定かならざる由を云へり即ち武藏地名考、四神地名録、山吹日記、神祇志料も佐須村の社を以て式内なりとなし、神社覈録は地名記を引きて根留布村の社是なりとなす、姑く記して後考を俟つ、明治6年11月郷社に列せらる。 社殿は本殿、拝殿及神門、水屋等を具へ、境内2209坪(官有地第一種)あり。 明治神社誌料 |