虎狛神社
こはくじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】虎柏神社 武蔵国 多摩郡鎮座

   【現社名】虎狛神社
   【住所】東京都調布市佐須町 1−14
       北緯35度39分41秒,東経139度33分2秒
   【祭神】大歳御祖神 (合祀)稻蒼魂命
   【例祭】10月10日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】崇峻天皇2年創建
       鎌倉・室町時代地頭より毎年米一俵が下附
       天和3年(1683)12月造営
       文政年間造営
       明治維新で別当祇園寺と分離
       明治6年12月郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造朱塗
       幣殿・拝殿・水舎

   【境内社】稲荷神社・佐須神明宮
   【別当】天台宗虎柏山祇園寺

創建は第32代崇峻天皇2年という。
深大寺縁起によると、 深大寺を開基した満功上人の祖父右近長者の住んだ柏野の里の名と、祖母の名の虎から虎柏神社と名付けられたという。


虎柏神社

太古■牟聞神祠攸肇■稽古書式武蔵国風土記載多摩郡狛江郷 虎柏神社圭田七十三束一祭神則 大歳御祖神也 崇峻天皇二年巳酉八月始祭事有之云 延喜之式亦載 社号也夫 崇峻巳酉距於今文政戌子一千二百四十年也 延喜紀元既垂千年而其祠巍然猶存埃其郷民故家而亦存埃実鎮護吾郷霊社也豈不感載尊敬乎哉或日風土記二己久埃今所傳社非其旧其書体■大異于出雲豊後等之風土記■其所以不能無疑也雖然記裁簡古夫非近世所偽撰者仮令使其偽亦豈容併疑其所載神祠子況復式之全然存子故今表而出之以傳後世也

社頭掲示板



虎狛神社

虎狛神社は、今から1425年前の崇峻天皇(589年)8月に創建され、農業の神様である大歳御祖神(オオトシミオヤノカミ)がお祀りされて祭事が始まったと伝えられています。爾来、地元住民に崇敬され、地域の団結と発展、心の拠り所として佐須の中心となっております。後に穀物の神様である倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)も合祀され、江戸末までは、虎狛山祇園寺の別当が、神事を司っておりました。尚地域内には、祇園寺東に位置し、天照皇大神をお祀りする「神明宮」、晃華学園南西角には、「里の稲荷」別名「樫ノ木稲荷」があり、これらも神社の氏子によって守られてきました。
建長5年(927年)の『延喜式神名帳』には武蔵国の式内社四十四座、多摩郡八座の一つとしての記録があります。現在の社殿は天和3年(1683年)に再建され、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成24年には、社殿並びにその小屋裏に残されていた三枚の棟札が調布市文化財の指定を受けました。
樹齢数百年とも言われた「黒松の大木」は昭和39年(1964年)に「東京都の天然記念物」の指定を受け、生え際近くでは太さ2.3×2.4m、高さ約30mで、都内では三本の指に数えられる松の大木でした。しかし落雷等の被害もあり、残念ながら平成18年には、枯死してしまいました。 文政11年(1828年)には神社正面入り口に石造りの大鳥居が、また参道右側には、高さ1.8mもある巨大な「佐須祁虎狛神社の碑」が建立されました。碑文は、当時の名主温井義邦の撰によるもので、神社の名称の由来、歴史、「里の稲荷」等についても詳細に記されています、現在のような輸送手段がない当時としては、驚くべき大きさであり、極めて貴重な文化財です。
拝殿がいつ建立されたかについての詳細な記録はありませんが、文化12年(1815年)に社殿の修理が地元の職人によってなされた記録があります。
その後大正8年(1919年)に遷座式が行われた時にも改修されたようです。
それから約百年が経過した平成24年(2012年)、本殿が文化財の指定を受けたことを機に、拝殿屋根、社殿の覆い屋、弊殿、そして手水舎の改修、新築工事に着手、平成26年(2014年)11月に完了しました。
宗教法人 虎柏神社 平成27年1月吉日

社頭掲示板



虎柏神社

社地二段餘、二間半四方の覆屋、是式内の虎柏神社なりといふ、【風土記】に虎柏に作り、圭田七十三束、所祭大歳御祖神也、崇峻天皇2年乙寅酉8月、始祭事有之と載せたり、社地は村の北にありて、深大寺村内難波田弾正の壘跡の南に當れり、そのかみ大手門當社の大門と相向ひしといへり、村内に宮田耕地といふ所あり、是古へ圭田の遺跡なるべしなど土人いへり、後世衰微して神體もなく祭祀も十年前までは毎年8月15日に行れしが、廃絶して久しく其沙汰なし、近年に及て漸く地頭の寄附によりて、9月13日神楽を執行すといふ、村内祇園寺古へ當社の別當なりといふ、今に尚その寺の持なり、當郡根ヶ布村に諏訪明神あり、社傳に式内虎柏神社なりといふ、いまだ何が是なることを知らず。

新編武蔵風土記稿



虎狛神社拝殿改修事業への御寄進のお願い

虎狛神社は、今からおよそ1520年前の崇峻天皇2年(589年)に大歳御祖神を祀る神社として分祀、建立され、爾来佐須の鎮守として、地域の安全・安心と発展の中心的役割を果たしてきました。
「延喜式神名帳」に武蔵国の式内社四十四座、多摩郡八座の一つとして記されています。特に現在の社殿は天和3年(1683)に再建されたもので、調布・狛江両市にあって最も古い建造物です。このため平成24年3月には、社殿が調布市の文化財指定を受けました。
現在の拝殿は、大正8年(1919)に遷座式が行われた時に改修されたと思われます。しかしその後ほとんど補修等が行われなかったために、約100年が経過した現在では、痛みがひどく、根本的な改修が必要となっておりました。
そこで、社殿の「文化財指定」を機に、損傷のひどい拝殿の屋根、社殿の覆い屋当の改修を、平成26年6月完了を目途に進めることになりました。
つきましては、是非、虎狛神社の改修にご協力を賜りますよう、謹んでお願い申し上げます。
なお、詳細につきましては左記の通りです。
宗教法人虎狛神社 総代 齋藤亀三 村越久男
平成25年11月吉日

社頭掲示板



市指定有形文化財(建造物)

虎狛神社本殿 附 棟札三枚
所在地 佐須町 1−14−3
指定 平成24年3月30日
拝殿の奥に位置する本殿は、天和3年(1683)に建立されたもので、市内では深大寺の深沙大王堂内宮殿に次いで古い建造物です。建築形式は、一間社流造りの見世棚造りと呼ばれるもので、正面と側面に擬宝珠高欄付の切目縁をめぐらせ、向拝には五段の木階と浜縁が設けられています。屋根は銅板葺ですが、当初は茅葺であったことが棟札から明らかになりました。
江戸時代初期の建築技法をよくとどめた建造物で、極めて高度な技量がうかがえます。小屋裏に収蔵された棟札から、願主貫井三良右衛門、新右衛門、牛込の大工■崎佐太郎などにより建立され、文化12年(1815)に地元の大工によって修復されたことが判り、地域の歴史を知るうえでも重要な建造物です。
平成24年11月30日
調布市教育委員会

社頭掲示板



虎狛神社石鳥居

市指定有形文化財(建造物)
虎狛神社石鳥居
附笠木・島木・貫旧石材
所在地 胴布市佐須町1−14−2虎柏神社
指定 平成30年3月29日
 本鳥居は、文政11年(1828)に、旧佐須村の村民によって建立されたものです。いわゆる明神鳥居形式で、総高3.73mを計ります、西側柱には「文政11戊子歳夏6月再建之」、東側柱には「武蔵国多摩郡狛江郷佐須村中」の銘文があり、礎石には名主や年寄、世話人の名が刻まれています。
大正12年(1923)に起きた関東大震災で倒壊し、その後、再建されました。再建する時、柱は当初材がそのまま使われましたが、笠木・島木・貫は破損したため、新しいものに取替えられました。
境内には笠木等の石材が残されています。再建にあたっては、旧材に倣って造られ、建立当時の姿に保たれています。
本鳥居は、木造の鳥居の形式に倣って造られており、非常に精巧な石造技術が見て取れます、江戸時代後期、文化・文政期における農村文化の高さを示す貴重な交化遺産です。
令和2年2月27日
調布市教育委員会

社頭掲示板



虎柏神社

虎柏は登良加志波と訓べし○祭神大蔵御祖神、(風土記)〇小曾木郷根箇布村に在す、(地名記)今諏訪明神と称す、郷申惣社也、例祭月日、○惣國風土記七十七残欠云、武藏國多磨郡虎柏神社、圭田七十三束、所祭大蔵御祖神也、崇峻天皇2年乙酉8月、始祭事有之、
古松軒の筆記には、佐須村に至ての小社あり、虎柏神社と称す、また同村に、虎柏仙祇園寺といふもあるよし見えたり、
社領
当代御朱印高三石

神社覈録



郷社 虎柏神社

祭神 大歳御祖神
創立年代詳かならす、社伝に拠れば、崇峻天皇2年8月始めて祭事ありきと、延喜式神名帳に載する所の多摩郡八座の内虎粕神社なりと傳ふ、惣国風土記七十七残欠云「虎柏神社、圭田七十三束、所祭大歳御祖神也、云々」とあり、村内に宮田耕地といふ所あり、是古圭田の遺跡なるべしなど傳ふ
又神祇志料によれぱ、佐須村柏の里にありと見えたれど、当郡根ヶ布村諏訪神明社は式内の虎柏神社なりとの説あり、何れか是なるを知らす、又特選神名牒に云く、
「虎柏神社、今按、一説ニ根ケ布村高峯山ニ虎柏神社アリト云ヘド証ナケレバ信ガタシ、武藏演露ニ虎柏神社今虎柏大明神卜云、佐須村ノ内ナリ、此邊ヲ柏ノ里トス、此村ニ虎柏山祇園寺アリ、当社ノ別当歟ト云ルハ由縁アリ、佐津ハ佐須ノ訛ナルベシ、此虎柏山ノ號ニテモ虎柏神社ノ此村ニアル証トスベシ、故今之ニ從フ」
とあり、記して参考に備ふ、往古は地頭より毎年祭興料として米一俵下附せられ、中古より当村天台宗虎柏山祇園寺別当職として奉仕せしが、維新の際分離したり、明治6年郷社に列す、社殿は本殿一宇にして、境内288坪(官有地第一種)を有す。

明治神社誌料



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