天満社
てんまんしゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大麻止乃豆乃天神社 武蔵国 多摩郡鎮座

   【現社名】天満社
   【住所】東京都八王子市北野町550-1
       北緯35度38分48秒,東経139度21分11秒
   【祭神】菅原道眞
   【例祭】4月25日近い日曜日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】由緒不詳
       寛文4年(1664)3月社殿再建
       天正19年(1591)11月社領五石

   【関係氏族】
   【鎮座地】

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】塩竃神社・稲荷神社

創建は不明、横山党の一族が京都北野天満宮を勧請したとされている。
『武藏演路』は大麻止乃豆乃天神社に比定する。


由緒

創建の年代は詳らかではないが、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請し北野の地名となった。寛文4年(1664)3月龍華山大義寺真上法印により社殿再建した。天正19年11月(1591)から萬延元年(1860)9月まで将軍家から五石の社領を受ける。年一度徳川将軍へ武運長久の祈祷札を一月献上の習慣があった。明治13年(1880)唐破風の社殿造営。昭和51年「菅公1715年忌事業で社殿を銅板葺に改修する。
末社の塩竃神社は腹帯拝受の崇敬者多い。境内縄文後期の古代斎場の遺跡は市指定である。ご神木の欅は樹齢今400年のものである。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




北野天満社

創建の年代は詳らかでないが、横山党の一族が京都北野天満宮をこの地に勧請し、北野の地名となった。寛文4年(1664)3月龍華山大義寺真上法印により社殿再建した。天正19年(1591)11月から万延元年(1860)9月まで、将軍家から五石の社領を受ける。毎年一月徳川将軍へ武運長久の祈祷札を献上の習慣があった。明治13年唐破風の社殿を造営する。(

東京都神社名鑑



北野天満社

村の東の入口にあり、社領五石の御朱印を賜へり、當社はこの地十八代官を置れし頃、其人々の内にて勧請せし由を傳へり、神體綱敷天神立像、長二尺一寸なるを安せり、本社六尺四方、拝殿二間に三間、寛文九年の勅額にして二品良尚親王の筆也と云、村の鎮守にして例祭2月25日、八王子村元横山村大義寺持。
鐘楼。元禄元年11月の銘をいれり、又境内に康永4年11月日の古碑一基あり、何人の碑かしらず。
菴。拝殿の北にあり、二間に三間半、社を守る人ここに居れり。

新編武蔵風土記稿



市史跡 北野石器時代住居跡

この遺構は、約4000年前(BC2000年)の縄文時代後期の住居あとといわれています。
昭和16年(1941)ここから約100m南の北野支所北西際あたり(当時の由比第一小学校裏庭)で偶然発見されました。地表より約85cmさがったところから扁平の川原石を敷きつめた長径3.3m、短径2.9m、ほぼ円型で遺構の中央に約5×5cmの方型の炉があり、かたわらに窪み石がおかれています。
住居の東隅に張出しが見られ、二本の石棒がおかれたうに発見され注目されていましたが、ここに移動することがきまって市文化財保護審議会委員等により再調査が行なわれ、さらに張出し部は東に延長されしかも深くなっていて、その下に埋甕(まいよう)が発見されました。しかし、昭和38年の北野地区、区画整理事業に伴い急遽計画されたため、東の張出し部の移転は間に合いませんでした。

社頭掲示板




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