小野神社
おのじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】小野神社 武蔵国 多摩郡鎮座

   【現社名】小野神社
   【住所】東京都府中市住吉町 3-19-3
       北緯35度39分51秒,東経139度27分22秒
   【祭神】天下春命 瀬織津比売命
   【例祭】9月15日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】安寧天皇18年2月創祀
       元慶8年(884)7月15日正五位上
       明治6年郷社
       大正15年火災で炎上

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿流造
       幣殿・中門・拝殿

   【境内社】稲荷社・千葉社

中央高速道路南に鎮座する。
もともとは小野宮と呼ばれた当地が鎮座地であったものを、多摩川の水災によって多摩市一之宮に移転させた、ともいうが詳細は不明。
 多摩川の氾濫によって鎮座地がしばしばかわり、いつしか多摩川を挟んで二つになったが、もとは同一社ともいう。


小野神社

除地一段五歩、小野宮にあり、村民徳左衛門持本社九尺四方の覆屋、拝殿九尺に一丈二尺、石の鳥居を建、当社は式内の碑にて「残篇武蔵風土記」に小野郷に係けて所祭瀬織津比売也、垂仁天皇三年甲午始行祭礼有神戸巫女等圭田五十六束三字田とあり、もし是文に掾れば六所宮よりも古き鎮座なり、又元慶八年秋七月十五日、癸酉武蔵国従五位上小野神社に正五位上を授けられしこと国史に見えたり、後武蔵執権の世に及て六所宮を崇敬ありて、当社衰微に及び、六所宮より社務をも執行し、後には彼社に配祀せるなるべし、当社及び稲倉魂命下春太神、是を客来三神と称して東殿に安置す、近来武蔵国造十世の祖を祭て小野神社となし、後共社を一の宮村に移せしによりて、小野は一の宮の舊迹なりといふ、臆説を唱ふるものあり、享和中碑を建て故蹟なるよしを録せり、亦彼臆説に従ひ、彼一の宮祭神当社と自ら別なることをしらず、

新編武蔵風土記稿



小野神社

おのじんじゃ 東京都府中市本宿。
旧郷社。祭神は天下春命、瀬織津比売命。
創立年代は不詳。祭神である天下春命は、饒速日命が河内国に降臨した際に供奉した神である。兄武日命が初めてこの県の国造となったとき、祖神としてこの地に勧請祭守したと伝える。本社が、延喜の制小社にあてられる社であるかどうかは、南多摩郡に同名の社があるので明らかでない。例祭9月15日。

神社辞典



郷社 小野神社

祭神 天下春命 瀬織津比当ス
創立年代詳ならずと雖、延喜式に多摩郡八座の一なる小野神社は蓋し当社なりといふ、神名帳考証に拠れば祭神は孝昭天皇の皇子、天神帯日子命(小野臣の祖)なりと、又特選神名牒に「祭神、今按、社伝ニ武藏国造兄多毛比命、其祖神下春大神ヲ祭ルトアレド、天下春命ハ武蔵國造ナラネバ如何アラン、實ハ武邪志國造兄多毛比命、ヲカク誤リ伝ヘタルカトモ思ハルレド、小野神トアルニ拠ラバ、近江滋賀郡小野神社ト同社ニテ天帯彦国押人命ヲ祭レルニヤアラン」とあり、記して後考に供ふ、神社覈録に「府中本宿村宇小野に在す」と見えたり、新編武蔵風土記に「所祭瀬織津比当轣A垂仁天皇甲午始行祭礼有神戸巫戸等、圭田五十六束云々」とあり、又元慶8年7月15日癸酉從五位上小野神に正五位上を授く(三代実録)と見ゆ、然るに武家執権の世に及んで府中の惣社たる六所宮(今の国幣社、大国魂神社是なり
)を崇敬ありて当社衰徴に及び、六所宮より社務をも摂行し、後には彼社に配祀せるなるべし(新編武蔵風土記稿)社殿は本殿、拝殿を具備し、境内310坪(官有地第一種)あり、
特選神名帳に云く「処在一宮村(宇外馬場)今按神社覈録ニ、武蔵地名考云、府中惣社六所明神也、云々、此辺小野里ト云、此小野神社ナルベシト云レド、惣社ハ、今モ惣社ト云テ式内ノ神社ニハアラズ、注進状ニ本宿村ノ内字小野宮ニ小野神社アリト云ヘド、一宮村ニ小野神社アリテ、伝説ニ往古多摩郡本宿ノ小野宮ト云処ニ鎮座アリシヲ、水災ニ依テ当地ニ遷サレ、村ヲ一宮ト称ストミエ、私案抄ニ載タル正長2年ノ文書ニ一宮小野大明神ノ文アリ、安居院神道集ニ六所宮ノコトヲ云テ、一宮の小野大明神ト申ストミエ、武蔵惣社誌ニ此社ハ国府ノ西南一里バカリ、玉河ヲ隔テ多摩郡一宮村ニ鎮座テ、一宮小野大明神ト申ストアルニヨリテ一宮村ト決メタリ」
と、故に本社は其元宮歟、記して後考に備ふ。

明治神社誌料



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